著者:中西 進 出版社:光文社 2009年7月刊 \1,890(税込) 237P
万葉集の「貧窮問答の歌」で知られる山上憶良の心情を追った一書です。
著者は日本文化研究家の中西進氏。今年80歳になる中西氏は、大阪女子大学学長、京都市立芸術大学学長を辞したあと、現在も奈良県立万葉文化館館長、京都市中央図書館館長、堺市博物館館長を務めている学者さんです。
中西氏によれば、憶良は万葉歌人のなかでユニークな存在だといいます。
まず、「貧乏」などというテーマを取り上げたのは憶良しかいないこと。
他の歌人が「たらちね」と歌っているのに「たらちし」と書いているなど、独特の言葉遣いをしていること。
他の歌人と違って自然をよまず、人の情けばかり歌っていること。
そのほか中西氏の長年の研究によると、憶良は朝鮮半島の渡来人で、孤独と悲しみをたたえた人物だったようです。
中西氏が憶良の生涯をたどる方法は少し変わっていて、
「帰国子女の悲しみ」
「都会人の悲しみ」
「インテリの悲しみ」
「ノンキャリア公僕の悲しみ」
など、現代の言葉を当てはめて憶良の心情を推測しようとしています。
その理由は、「古典的な手法によって考えることに飽き足らないから」で、もうひとつ、「同じ方法だと同じ光景しか見えてこない」という著者の発想がありました。
憶良を身近に感じようとする中西氏の方針は徹底していて、たとえば憶良がやっと出世コースに乗った西暦701年以降を「戦後」と呼んでいます。
のちの天平時代をになう聖武天皇が701年に生まれたとか、
遣唐使が701年に再開されたとか、
旧世代に属する持統女帝が702年に亡くなったとか。
理由はさまざま挙げられていますが、だからといって普通の人が「平安時代よりずーっと前の時代」ととらえている古代史の一部を「戦後」と名付けてしまうとは驚きです。
京都人が「この前の戦争」といえば応仁の乱を指す、という笑い話を思い出します。
現代的視点で憶良の生涯をたどる試みは面白く、章を追うごとに憶良の性格が浮かびあがってきました。
本書で明らかになった憶良の性格は決して聖人君子ではなく、生真面目で何ごとも深く考えてしまうタイプです。中西氏が書いている、「どうも付き合ってもおもしろそうな人ではありません」と言う人物評が印象的です。
その憶良を解明する旅の圧巻は、なんといっても第6章の「貧乏の悲しみ」です。
憶良が歌った「貧窮問答の歌(びんぐもんだふのうた)」は、貧しい男の問いかけに「窮」(もっと貧しい)男が答える問答のあと、
世間(よなのか)を憂しとやさしと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば
という短歌(反歌)でしめくくられています。
私小説やプロレタリア文学でさかんに取り上げられるようになった「貧乏」というテーマは、他の万葉歌人はだれ一人とりあげていません。
教科書で読んでから30年以上たって読み返してみると、確かにこの歌には、現代社会に通じる悲しみが表現されていることが分かります。
中西氏の現代語訳を一部引用してみます。
天地は広いのに、どうして自分はこんなに世間を狭く生きなければならない
のだろう。
(中略)
みんなが悲しみのうめき声を立てている。
(中略)
世の中をつらい、自分を恥ずかしいと思うが、鳥ではないから飛び立って
この世を棄てることができない。
憶良の詠んだ悲しみの言葉をかみしめていて、私はフォーク・デュオ「サイモンとガーファンクル」の歌った「コンドルは飛んで行く」を連想しました。
Away, I'd rather sail away
Like a swan that's here and gone
A man gets tired out to the ground
He gives the world
It's saddest sound
It's saddest sound
大地に縛られた人間が悲しい叫び声を上げている。
白鳥のように遠くへ飛んでいきたい。でも、できない――。
アンデス民謡にポール・サイモンが付けた詩は、貧窮問答と通じています。
後世の日本文学だけでなく、全世界に共通する悲しみの心情を歌ったのが憶良でした。
中西氏は、他に、病気の悲しみ、老いの悲しみ、愛と死の悲しみなども解明しています。
歴史上の人物を読み解くにしては断定がすぎる気もしますが、万葉の時代を身近に感じさせてくれる良書でした。