毎年8月になると、反戦をうったえるイベントが開催され、反戦テレビドラマの放映が行われる。
元気になる内容ではないので、もう何年も自分の視界から遠ざけてきたのだが、今年は違った。
僕の大好きな『蒼穹の昴』作者の浅田次郎氏が北の孤島で起きた知られざる戦いを書き、『エア新書』や『ダジャレヌーヴォー』でお笑いを追究している石黒謙吾氏がシベリア抑留者の体験談を本にした。大好きな2人が奇しくも同じ傾向の本を出したのだから、僕も読む決意をかためざるを得ない。
しかし、いざ読みはじめたものの、どちらも気楽に読み通せる内容ではなかった。
特にシベリア抑留者の体験談は、あまりの悲惨さに一度は読むのをやめてしまったほどだ。
おかげで読了するのが遅くなり、そろそろ秋風がふく季節になってしまったが、やはり読んでよかったと思う。
2010年の反戦出版物を代表するような作品を今日は取りあげる。
終わらざる夏 上・下
著者:浅田 次郎 出版社:集英社 2010年7月刊 各\1,785(税込) 467P,458P
浅田次郎氏の『終わらざる夏』は、戦争が終わったはずの昭和20年8月15日からはじまった千島列島の占守島(シュムシュ島)で起きた戦闘を舞台にした物語である。
当時の日本領最北端に位置する占守島には、満州から移動した戦車部隊が配置されていた。沖縄を陥落させたアメリカ軍が、今度は千島列島から攻めてくると大本営が予想したからだ。
しかし、日本軍の予想は外れ、アメリカ軍は全く北から攻撃してこない。8月15日に玉音放送が流れ、本来ならそのまま武装解除するはずの日本軍は、突然ソ連からの攻撃を受ける。
戦争が終わるはずの夏が、「終わらざる夏」になってしまったこの戦闘が全編のクライマックスなのだが、物語は、運命の手で占守島に引き寄せられる主人公たちを一人ひとり追っていく。
戦争初期に軍隊に招集されるのは体格のよい甲種合格の若者が多かったが、戦争が長引くにつれ、上限年齢が上がっていき、乙種合格者、丙種合格者もかまわずに動員されるようになる。
父親と兄弟を全員兵隊にとられて一家の働き手を失った家族は途方にくれ、生きて帰ってきた息子を2度、3度と連れて行かれる母は悲嘆にくれる。
浅田氏は、戦争が庶民の生活を破壊していく様子を、克明に描いていく。
戦争の悲惨さを象徴するような主人公たちの悲嘆を、3ヶ所だけ引用させていただく。
その1。
妻を満州の奥地に残したまま占守島に向かう大屋与次郎准尉の心情。
別れがつらかったのではない。夫の務めが果たせぬことを、すまないと思ったのだ。あるいは、自分しか頼る人のないひとりの女を、満州の曠野に捨ててしまうことが忍びなかった。
その2。
老いた母を残して3度目の入隊に向かう富永軍曹の挨拶。
「富永軍曹、みなみなさまにお願えしあんす。自分はもハ、手も足も命も何もいらねえがら、ひとりぽっちのお母(が)さんさ、銭こめぐんでくなんせ。俺(おら)だぢをいじめるのは、これきりにしてくなんせ」
(中略)
「五銭でも十銭でもよがんす。お母さんは加賀野の市営住宅におりあんすがら、賽銭を投げるつもりで銭こばめぐんでくなんせ。この通り、富永軍曹、後生一生のお願えでござんす」
その3。
ドイツの攻防戦で生き残ったにもかかわらず、カムチャッカ半島へ連れてこられたソ連の兵隊アレクサンドル・ミハイロヴィッチ・オルローフの手紙。
もう戦いたくはない。
戦で生き残ったあと、またべつの戦になど向かいたくはない。精も根も尽き果てた僕と僕の部下たちに、このうえヤポンスキーと戦って生き残る自信などありません。
氷の粒が舞うふるさとの森から、僕を連れ去った橇が、四年の間なにごともなかったかのように再び僕を君のもとに送り届けてくれる日を、心から願うばかりです。
軍の命令で、仕事を放棄し、家族と離れ、二度と帰れないかもしれない故郷を離れて戦地へ向かう兵隊の切なさ。そして、残された家族の苦しみが、主人公一人ひとりの言動を通して読者に染みわたる。
さいはての占守島に引き寄せられた男たちの最後の戦闘がはじまる。「終わらざる夏」は、いったいどうなってしまうのか……。
キャンバスに蘇るシベリアの命
著者:勇崎作衛/絵 石黒謙吾/構成 出版社:創美社 2010年8月刊 \2,520(税込) 143P
『キャンバスに蘇るシベリアの命』は、太平洋戦争後にシベリアに抑留された勇崎作衛氏の描いた87枚の油絵を、石黒謙吾氏が構成し、解説文を付記したものである。
絵を描いた勇崎氏は、抑留体験をほとんど語ることなく65歳まで仕事に打ちこんできた人である。
残りの人生をどう過ごそうか考え、勇崎氏は抑留体験を下の世代に伝えることをこころざす。
文章で残すことも考えたが、類似本がたくさん出版されていることを考慮し、絵に描いて残すことを考えた。
とはいえ、絵と関係のない生活を送ってきた勇崎氏は、芸術的な絵画を描くノウハウがない。
勇崎氏の息子からは、絵画教室に通うことを勧められたという。
しかし、勇崎氏は我流で書きはじめることにした。
子どもの頃は絵が好きだったことを頼りに、1枚1枚、亡くなった同胞に心の中で手を合わせながら書いていくことにしたのだ。
決して上手な絵ではないが、描かれた抑留生活の過酷さが人々の胸をうち、静かなうねりとなっていく。
1991年頃から展覧会が開かれるようになり、時にテレビでも紹介された。
2005年に勇崎氏の絵と体験を伝えるドキュメント番組が放映された際、石黒謙吾氏は深い感銘を受けた。石黒氏の叔父もシベリア抑留者だったこともあり、勇崎氏の体験を本の形で残しておくべきだと思った。
石黒氏は次のように言っている。
こんな惨劇が、戦争が、人間同士の殺し合いが、二度と起こってはいけない。いのちが無惨に散りゆくことに対して感情が麻痺してはいけない。生きるもの同士、他者の痛みと悲しみに目を向けなければ、欲望にまみれたごく一握りの人間の暴挙に抗することができず、戦争が繰り返されてしまうかもしれません。
勇崎氏の描いた抑留体験は、悲惨の一語に尽きる。
あまりに非人道的な扱いに、人としての誇りが失われる。与えられる食料の少なさと労働の過酷さに負け、次々と戦友たちが死んでいく。
正視に耐えず、しばらく読むのをやめてしまったほど悲惨な内容だ。
当然ながら捕虜を虐待するソ連兵へのいきどおりが読者の心に生じてくるのだが、勇崎氏は単なる憎悪で絵を描いたわけではない。
石黒氏が勇崎氏の心情をつづった一文を引用させていただく。
今さらソ連を憎悪するわけではありません。日本、ロシア両国の人たちに戦争の恐ろしさを知っていただきたい。世界じゅうが平和のために友好に手をつないでもらいたい。私が絵を通して願うことはただそれだけなのです。
見開きに1枚〜4枚の絵がカラー掲載され、画集のような構成にしあがっている。
画集なのだから、まさに百聞は一見にしかず。
ぜひ、手にとってご覧いただきたい。
【2016年7月追記】創美社版が絶版したあと、下記で復刊されました
書名:シベリア抑留 絵画が記録した命と尊厳
著者:勇崎作衛 石黒謙吾 出版社:彩流社 2016年8月刊 \2,484(税込) 143P
戦争とはいったい何だろう。
クラウゼヴィッツは「戦争は外交の一手段」と言ったという。
自国の国益をぶつけあう外交においては、いざとなれば戦いを辞さないという姿勢が相手国から譲歩を引きだす、という意味なのだろう。
しかし、第二次世界大戦で辛酸をなめた日本人は、「何があっても戦争はご免だ!」と、無条件で戦争に反対する心情を抱いた。「合理主義者」から空理空論と嗤われようと、戦後一貫して「もう二度と戦争はしない」という世論が大勢を占めていたし、今も同じと思う。
戦後生れの浅田次郎氏も石黒謙吾氏も、戦争で何が起こっていたかを風化させないためにペンをとった。
語り継ぐような物語を知らない僕たちは、せめて2人が教えてくれた戦争の実像を心に焼きつけておきたいと思う。
辛くて、しんどい読書になることは確実だが、ぜひ手にとってもらいたい。