「自然との共生」というウソ


著者:高橋 敬一  出版社:祥伝社新書  2009年4月刊  \798(税込)  194P


「自然との共生」というウソ (祥伝社新書152)    購入する際は、こちらから


地球温暖化を防止するため二酸化炭素の排出量を削減する動きが、現実化してきています。
また、世界中にはたくさんの自然保護団体があって、絶滅種を守ろう、外来種を持ち込まないようにしよう、ワシントン条約を守ろう、クジラを守れ! など、自然との共生を目指した運動を展開しています。


本書は、この種の運動に内包する矛盾を指摘し、人間とは自然に手を加え続けるという宿命を背負った存在であることを訴える、ちょっと危ない一書です。


著者の高橋さんは、1956年生まれですから、私よりひとつ年上の52歳。数年前に『生協の白石さん!』が話題になった東京農工大学農学部を卒業し、農林水産省に入省しました。
2000年に退職するまで、農林関係の研究所で研究生活を送ったようです。


農学博士で「カメムシ採集人」を自称する高橋さんは、ちょっと人と違った自然観、人間観を持っておられます。


まず、人間と他の生物の違いについて。


自然保護を主張する人々だけでなく、私たち人間社会の基本的な考え方は、「人間は知性を持ち、他の生物よりも高度な存在である」というものです。


「本当だろうか」と高橋さんは、疑問を投げかけます。


人間が高度な存在なら、環境のために自己を犠牲にできるだろうか?


“自分の”生きている環境を心地よく整え、“自分の”子孫を残そうとする。そのために利己的な行動をとり続けるのが人間である。ちっとも、他の生き物と変わるところはない。――と高橋さんは言います。(趣意)


もう一つ、「自然とは何か」ということ。


自然保護を訴える人の多くが守ろうとしているのは、いわゆる「里山」の風景です。
農水省で研究をしてきた高橋さんは、「里山」は決して手つかずの自然ではなく、燃料を得るために便利な特定の木を育てたり、手を入れてきた人為的環境であることを指摘します。


外国から燃料や食料を輸入するようになれば、「里山」への手の入れ方が変わるのは当たり前で、歴史の中の一瞬の風景を懐かしんで守ろうとするのは、全く意味がないと言うのです。
仮に人間が全く手を加えないとしても、自然を構成する植物や動物の力関係で、自然環境は変化していくものなのです。


絶滅しそうな種を保護しようとする運動がありますが、極論をいえば、たとえ絶滅した種があっても、別の生物が新しい環境を作るので何も問題はない。自然は、変化し続けていくものなのだから。


そして、地球を守る方法について。


高橋さんは、自然保護運動は、全く役にたたないといい、次のように結論します。

  人間を含め、もし少しでも多くの生物種を少しでも長生きさせたいなら、
  (中略)「自然との共生」などという妄想から手を引き、自然をこれ以上
  いじくりまわすのをやめ、人間が多くの場所から撤退することだ。


そして、本書を次の言葉で締めくくりました。

  私たちに必要なのはただ、いかなる未来をも受け止める勇気だけである。


私も、自然保護運動を訴える主張に違和感を覚えたことが何度もありました。


捕鯨に反対するグリーンピースは、自分たちの主張を通すために、漁師さんの漁を邪魔したり、倉庫から鯨肉を盗んだりします。


自分たちの主張を通すために、法律に反しても平気なのかなぁ……。


身近な自然を守れ! 緑の山を切り崩す開発に反対! と訴える自治会住民が、実は30年前に緑地を切り開いた新興住宅地に住んでいたりします。


自分はいいけど、他の人はダメっていうこと?


高橋さんの主張は過激ですが、私の心の中にも「そうだそうだ!」と同調する気持ちが芽生えました。
読んでどうなるわけでもありませんが、こういう極端な考え方は一読の価値ありと思いますよ。