異端者の快楽


著者:見城徹  出版社:太田出版  2008年12月刊  \1,680(税込)  299P


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新興出版社を急成長させてきた見城徹氏の発言や対談をまとめ、自らを「異端者」と呼ぶ濃厚な生き方をさらした一書です。


角川書店のカリスマ編集者だった見城氏は、1993年に幻冬舎を設立しました。絶対失敗する、と周りから反対されたり嘲笑されたりするなか、見城氏は常識やぶれのキャンペーンを次々と成功させ、会社を拡大してきました。


6人でスタートした会社が50人近くに増えたこと自体はそれほど目を引くことではありませんが、経常利益がすごい、と見城氏は強調します。ある大手出版社が赤字続きで、利益が出たとしても3億か4億という数値といいますから、平均して18億から24億の経常利益をたたきだしているのは、確かにすごいことです。


経営数値を押し上げている原因は、ともかく出した本が売れるからです。


見城氏によると、幻冬舎の本は売れるべくして売れている。
彼の持論によれば、売れるもの、大ヒットするもの、感動させるものには、必ず四つの要素があります。


  その1 明快であること
  その2 極端であること
  その3 癒着があること
  その4 オリジナリティがあること


1と2と4は作品自体の問題ですが、その3は編集者である見城氏と著者の共鳴度合いを示しています。


そもそも、表現者というのは「ふつう」ではない人々です。社会の規範や倫理からはずれ、過剰と欠損を抱えて生きています。
そんな「異端者」と一人ひとり真剣に向きあい、時には切りむすぶことなしに優れた作品は生まれません。


著者との親しさを示す対談やエピソードが本書にいくつも登場しますが、その中から、2つ紹介します。


一つ目は、さだまさしとの対談です。


見城氏は音楽家さだまさしに小説『精霊流し』を書かせ、続いて『解夏』、『眉山』を出版しました。
さだの曲を全部聴き、メロディも詩も味わい尽くした見城氏は、「間違いなく、大きな生きるという太い幹のどこかにきちんと触ったものができるだろう」と確信します。


本書に収録されている3冊出したあとの対談でも、的確で本人が喜ばずにはおられない批評を口にしました。

  いつも最初は季節と風景の描写から始まる。さださんは、そこに自分
  の心情をたくすという書き方ですよね。それはなかなかできない。
  それは、才能っていうものなんですよ。一編一編の曲の詩が、ほとん
  ど短編小説のようになっているさださんだから、できるんですよ。


うまい! ほめ方が!


私も以前、読書ノートで『眉山』を取りあげましたが、こんな切り口は思いつきませんでした。(私の『眉山』読書ノートはこちらを参照)


楽家が小説を書くことに批判は多く、文芸評論家の北上次郎氏などは、「この程度の内容で売れるのでは、他の良い作品が浮かばれない」とまで酷評していました。(『読むのが怖い! 帰ってきた書評漫才〜激闘編』所収)


さだまさしがこのような批判を目にしていたかどうかはともかく、見城氏の褒め言葉は心にしみたようで、音楽家になる前から小説家志望だったことを明かしています。



2つ目は、小説家の藤田宜永との対談。


同じ昭和25年生まれということもあって、タメ口で「お前さ……」「よくもまあ、あれだけ女と遊べたね」とか、「とにかくお坊ちゃんだったんだよ、君は」と、けんか腰にとられかねないもの言いをしています。


藤田氏の若き日のコンプレックスと女性関係をさんざん語らせたあと、話題は小池真理子に移ります。


藤田氏と小池氏は、夫婦で直木賞を受賞したことで知られています。
小池真理子の編集者だったという見城氏は、「今の夫に言うことじゃないけど」と言いながら、小池と見城が男女の関係になってもおかしくなかったことを明かします。


挑発しながら藤田氏と小池氏のなれそめを言わせたあと、
  「ふざけるなって話だ(笑)。俺の前で言うなよ」
と屈折した祝福の言葉をささげました。


ひとつ間違えば作家と絶交されてしまうかもしれない、ぎりぎりの会話。
見事です。


売上や儲けを誇っているところは、まるで松井証券の社長みたいに銭ゲバ的雰囲気をかもし出していますし、寄せ集め対談集という性格上、同じ成功話を何度も読まされて辟易してしまうところがありますが、それでも、この毒の強い一冊に、最後まで引き込まれてしまいました。


ニーチェの言葉を引いて、見城氏は次のようにうそぶきます。
  「昼の明るさに夜の闇の深さがわかるものか」と僕は独りごちる。


闇の深さがわかっている人はもちろん、少しは闇の深さを覗いて見たい「昼の明るさ」派の方にもお勧め。
ただし、あまりのめり込まないように。