食堂かたつむり


著者:小川 糸  出版社:ポプラ社  2008年1月刊  \1,365(税込)  234P


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今日は、余談からスタートさせていただきます。


先日、北上次郎,大森望共著の『読むのが怖い! 帰ってきた書評漫才〜激闘編』という本をななめ読みしました。書評家として有名な二人が、推薦本を持ち寄って判定しあう、という趣向で、小説中心の書評本です。


私の読んだ本が少ないなかで、さだまさし著『眉山』が取り上げられていました。
何を隠そう、私はさだまさしが大好きなので、2005年4月の読書ノートで『眉山』を取り上げたことがあります。
「神田のお龍」として沢山の人々から慕われてきた母と、その母が末期癌で余命いくばくもないことを知った娘の物語です。お天道様に恥じない「粋」な人生を送った主人公がカッコ良く、読み終わって、胸のつかえが下りたようにスーッとしたことを覚えています。


ところが、編集部が選んだこの本を、二人とも酷評していました。北上氏は「この程度の内容で売れるのでは、他の良い作品が浮かばれない」とまで言っています。
そりゃ、プロの小説家が書いたわけではありませんから、いろいろ欠点も目につくでしょう。だからといって、そんなに酷い言い方をしなくてもいいと思うのです。


二人の対談を読んで思いました。
「あまり本を多読しない方がいい」と(笑)。


本を勧めるブログを書いていてこんなこと言うのもおかしい(笑)のですが、あまり読みすぎると、本を読むときの新鮮な驚きが失われ、文句ばかり言うようになります。
別に名作であってもなくても、自分の心に響いてくる本を見つけられれば、それでいいじゃありませんか。


本書『食堂かたつむり』の著者も、いわゆる「作家」ではなさそうです。プロフィールに「作詞家・春嵐として音楽制作チームFairlifeに参加」とありますので、音楽業界人のようです。
20万部も売れている反面、アマゾンの「最も参考になったカスタマーレビュー」では「話が薄いというか幼稚な感じ。中学生や高校生向きなのでは」という評価が44人も賛同者を集めていました。
私の書評は、取り上げた本の良いところしか書かない方針ですが、本書も毀誉褒貶が激しい本だ、ということあらかじめお断りしておきます。


物語は、主人公の倫子の失恋からはじまります。
アルバイトを終えて、インド人の恋人といっしょに暮らしている家に戻ってくると、部屋の中が空っぽになっていました。
家財道具も、二人で貯めた貯金も失い、気がつけばショックで声も失ってしまった倫子は、何年ぶりかでふるさとに帰ることにします。


母親との確執を抱えたまま、実家の近くで倫子はメニューのない食堂をはじめました。
お客は1日に1組だけ。
お客様の一つひとつの注文に、ていねいに応えて工夫する料理は、食べた人に小さな奇跡を呼び、幸せを招き、だんだんと評判になっていきます。


倫子が予想もしない事件が発生し、物語は大きく動いていきますが……。


本書には、主人公が深く悲んでいる様子が、ストレートに表現されています。
また、食べ物を作ること、深く味わって食べることを通じて、食べることが自然の命を身体に取り込むことであることを実感させてくれます。
私が以前読んだ本の中では、よしもとばなな著『デッドエンドの思い出』の系譜を受け、群ようこ著『かもめ食堂』と同じく「食」について考えさせられる本でした。


本書の重要な登場人物に、「エルメス」という名前のペット(ブタ)がいます。ある時、どうしてもエルメスを殺さなくてはならなくなり、世話係だった倫子に死刑執行人の役目が回ってきました。
10ページもかけて克明に描写されるエルメスの最後は、残虐というよりは、一種の祈りの儀式のようにも読めました。


泣き叫ぶエルメスの鳴き声を、倫子は耳をふさぐこともなく、全身全霊で受け入れます。食べものを作ることについて、覚悟が決まった主人公の姿がそこに居ました。


この場面を読んで、私にも同じような経験があったことを思い出しました。


あれはたぶん小学校の3年生のことです。
酪農家に生まれた私は、牛を家族のようにして育っていました。なかでも「コウメ」という乳牛は、私より1ヶ月早く生まれた牛で、特別な親近感を抱いて飼っていました。
その「コウメ」も年をとり、お乳の量が少なくなってきます。


私が小学校3年のある日、とうとう「コウメを出荷することにした」と私の父が言いました。


「出荷する」というのは、屠場へ送る、屠殺するのと同じ意味です。酪農家にとって、新しい乳牛の誕生と、年老いた乳牛の「出荷」は年中行事になっています。
私も淡々と受け止めた……はずでした。


しかし、実際に「コウメ」を出荷する日が来て、トラックの荷台に「コウメ」を乗せようとしたときのことです。何事かを察した「コウメ」は、荷台に載るのをいやがりました。鼻輪につけた綱を父親が引き、私は「コウメ」の尻を木の枝で叩きました。


「そら、乗るんだ!」


何度も何度も、「コウメ」は悲しそうな声を上げましたが、とうとう荷台に乗せられてしまいました。
「コウメ」の鳴き声と一緒にトラックが遠ざかります。涙は見せずに見送りながら、私の胸は張り裂けそうでした。


私には倫子のような覚悟ができていませんでした。


それまでも牛肉を食べたことがありませんでしたが、この日を境に、ますます食べられなくなります。はじめて牛肉を食べる16歳の日まで。