夢を叶える夢を見た


著者:内館 牧子  出版社:幻冬舎  2002年12月刊  \1,575(税込)  446P


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2月に取り上げた見城徹著『異端者の快楽』には、見城氏が40歳をすぎてから角川を飛び出し、無謀と言われながら幻冬舎を立ち上げたことが書かれていました。
今日の一冊は、その幻冬舎から6年前に出版されたルポルタージュ作品で、見城氏もふくめた“人生の決断”を題材にしています。


本書は冒頭で、対象読者をはっきり示しています。
それは、「今の仕事は自分に向いていない」、「本当はやりたかった仕事がある」と思い悩んでいる人です。


今の仕事をやめる(著者は「飛ぶ」と表現しています)か、それとも「飛ばず」に今の仕事を続けるか。揺れる読者に向かって、著者自身の体験や様々なインタビュー相手の実例を示し、少しでも参考にしてもらおう、という趣旨です。


著者の内館さん自身、かつては腰掛けで会社に勤め、はからずも結婚せずに30代を迎えて焦ってばかりいるOLでした。
入社して13年半後、とうとう「飛んだ」内館さんは、「運」に恵まれ、脚本家として成功の道を歩みました。


著者のほか、幻冬舎社長の見城氏や、内館さんお得意のスポーツ分野(特にボクシング関係者)が登場し、「飛んだ」(もしくは「飛ばなかった」)経験を語ってくれます。


「飛ぶ」ために必要なことは何か。
「飛ばない」と決めても満足している人がいるのではないか。
「飛んだ」ことを悔やんでいる人、「飛ばなかった」ことを悔やんでいる人の話は聞けないだろうか。


試行錯誤しながら内館さんが感じたことを綴っていくと、原稿枚数489枚、ページ数にして446ページの大著になってしまいました。


内館さんがすくい上げた「飛ぶ」ための要素、「飛ばない」人の共通点等、お伝えしたいことは山ほどありますが、詳しいことは本書を読んでのお楽しみとさせていただきます。毎度のことですが、箇条書きで伝わることではないと思いますので……。


せっかくですので、多くのインタビュー相手の中でも特に印象的だった人の話をひとつだけ紹介します。
結局「飛ばない」を選択し、その後の会社生活で神奈川新聞の文化部長という自己実現を果たした服部宏氏です。


内館さんが脚本家を目指して『シナリオセンター』という講座を受講していたころ、服部氏は図抜けてデキル受講生でした。
十数人のクラスで3組の夫婦が生まれるというピンク気分のクラスメートを余所に、服部氏は映画シナリオ界の芥川賞ともいわれる城戸賞の準優勝を勝ち取りました。


新聞社を辞めてシナリオライターになるに違いないという関係者の予想をうらぎり、服部氏は新聞社に残ります。


あの時の「飛ばなかった」理由を教えてほしい、という内館さんのインタビューに答え、服部氏は20年前の心境を語ってくれました。


意外なことに、当時の服部氏は新聞記者ではありませんでした。
内館さんを含め、クラスメートの多くは彼を記者と勘違いしていましたが、実は服部氏は神奈川新聞社の社員とはいっても総務部に所属する何でも屋だったのです。
服部氏の仕事の中でも屈辱的だったのは、健康診断の時に、検尿の紙コップを管理する仕事でした。


同期の記者連中の尿カップを管理しながら、何度も涙したといいます。
誰かがやらなきゃいけない仕事だ。でも、それをやるのは俺ではないだろう。
何だって新聞社に入って、俺はこんな雑用やってるんだろう、と。


大学時代から「文化部記者」を志望していた服部氏は、何度も異動を訴えましたが、受け入れてもらえませんでした。


ならば、自分に文章を書く力があることを会社に認めさせるしかない。


シナリオ講座に通いはじめたのは、独立するためでなく、社内の異動を勝ち取るためだったのです。


紆余曲折ありましたが、賞を取ったことがきっかけとなり、服部氏の希望は叶えられました。
会社を辞めるという意味では「飛ばなかった」服部氏ですが、自分のやりたい仕事を手に入れるという意味では見事に「飛んだ」のです。



さて、「飛ぶ」とか「飛ばない」はさておき、はじめて読んだ内館さんの本から立ちのぼっているのは、強烈な自我意識です。


「飛ぶ」前の内館さんは仕事や生きがいについて突き詰めて考える人で、「何とか人生を変えたい」だの、「このままでは生まれてきた甲斐がない」だのと、願望が満たされぬ故の深い深い絶望感にのたうちまわっていました。


一方で、女性の社会進出を許さない時代の壁に憤慨しながらも、古い価値観に
骨がらみになっています。
親戚の娘が大学を中退したいという相談をもちかけてくれば、
  「男子学生でも難関の大学を、なぜ中退する必要があろう」
  「その大学を卒業していれば周囲の目が違う」
と、頑固オヤジのように言い切ります。


誰でもできる仕事しかさせてもらえなかった、と恨み骨髄に達しているはずなのに、古い価値観を若い世代に押しつけてしまうのは、何とも皮肉です。


「飛ばない」日々を13年半続けた果てに、とうとう「飛んだ」内館さんです。強烈な自我意識を武器に表現者としての実績をつくり、初めてのノンフィクションとなる本書では、「飛ぶ」人も「飛ばない」人も古い価値観で裁断していました。
気軽に手にとる人はいないと思いますが、激しい反発や強い共感を引き起こす重たい本であることを、あらかじめお断りしておきます。


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