アンのゆりかご 村岡花子の生涯


著者:村岡 恵理  出版社:マガジンハウス  2008年6月刊  \1,995(税込)  334P


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日本ではじめて『赤毛のアン』を翻訳した村岡花子氏の生涯を、孫娘がていねいに追いかけた評伝です。


村岡花子は、1893年(明治26年)、山梨県で生まれました。


父はお茶を売買する商人で、熱心なクリスチャンでした。お茶の行商で出入りするようになったカナダ・メソジスト派教会であたらしい思想にふれ、理想を追い求める社会活動家になりました。花子も父の方針で2歳のとき幼児洗礼を受けています。


花子が5歳のとき、一家は上京しました。


7歳で大病したときに辞世の句を詠むほど利発な花子でしたが、一家はびんぼう暮らしです。
父が商売そっちのけで社会主義者の活動にのめり込み、花子の7人の弟妹たちは、教育を受けるどころではありません。花子と下の妹2人をのぞき、あとの4人は養子に出されています。


せめて長女にしっかりした教育を受けさせたいという父の奔走で、10歳になる花子は東洋英和女学院というミッションスクールに給費生として編入学することになりました。
校舎兼寄宿舎に住み、学費が免除され、本は読みほうだい。家族の困窮をよそに、花子はこの学校で英語と出会い、『赤毛のアン』の作者モンゴメリと同世代のカナダ婦人に囲まれて青春時代を過ごします。
編入学して5年目に海のむこうで『赤毛のアン』が出版されていますが、この小説との運命的な出会いは、30年後になります。


このあと本書は、卒業してからの教職生活と作家への道のり、生涯の伴侶との出会い、婦人参政権獲得運動への注力、愛するわが子の死など、丹念に花子の足跡を追っていきます。
夢追い人だった父の生涯や、不倫からスタートした花子の結婚生活など、取り方によってはスキャンダラスな内容もありました。肉親であれば隠しておきたいことがらに孫娘が踏み込んでいることに驚きます。


帯に「孫だから書けた!」とありますが、「孫なのによくぞ書いた!」と言いかえてもいいでしょう。


1952年(昭和27年)に『赤毛のアン』を出版し、「アンシリーズ」の翻訳は花子のライフワークとなっていきます。


貧しい出自を持つ少女が希望を持って生きていく姿は、花子の若き日の姿と重なり、家族を支えながら執筆活動に打ち込む花子の日常は、アンの原作者モンゴメリも経験した日々でした。


アンのふるさと、プリンスエドワード島を訪ねる日を夢見ていた花子は、1968年(昭和43年)脳血栓で突然の死を迎えます。享年75歳でした。