ベイジン 上・下


著者:真山 仁  出版社:東洋経済新報社  2008年7月刊
定価:各\1,680(税込)  上 361P,下 319P


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2008年8月8日。
縁起のいい「8」の連なるこの日に向け、2つの国家的プロジェクトが中国ですすめられていました。
ひとつは北京(ベイジン)オリンピック。もう一つは、世界最大級の出力を持つ紅陽核電(原子力発電所)の建設です。


オリンピックの開会式場に特設された「和諧の光」へ送電を開始しようとしたとき、一人の日本人が原子炉を止めるように指示しました。技術顧問として原発建設に協力していた田嶋伸悟です。
中国側の総責任者のドンは、運転を続行させようとします。
なぜこのタイミングで停止させるのか。
ドンの質問への田嶋の答えは、
  「絶対的な安全が確認できない以上、停めるしかない」
というものでした。


停電時に起動するはずの非常用ディーゼル発電機が規定の300倍の失敗率。
なのに報告書には規定をクリアしたと嘘が書かれている。
自家発電の軽油が何者かに抜き取られている。
何より気になるのが、施設内の清掃がこの期に及んでも徹底されない。


田嶋が理由をならべあげましたが、所員たちも呆れるばかりです。


掃除が不十分だからといって原子炉をなぜ停めなければならないんだ。
とうとう、責任者のドンは田嶋の身柄を拘束し排除することを命じました。


  「事故が起きた時、誰もあんたを庇ってはくれないんだ。
   私の判断を信じなさい」


不吉なことばをのこして、田嶋が連れられていきます。


オリンピックの開催という実際のできごとに、国の体面をかけた原子力発電所の建設というフィクションを交えた、緊迫したドラマの幕開けです。


プロローグで激突した2人の主人公は、それぞれ重たい過去を背負っています。


広島県呉市に生まれた田嶋は、戦艦大和の建造に携わった父の思い出話を聞いて育ちました。父の誇りにあと押しされるように技術者の道を選び、大亜重工に入社して担当したのは、原子力発電所の建設でした。


広島県出身者のくせに、ピカ(原爆)を造るとは何事じゃ!」
父に理解してもらえない悲しさを抱えながらも、エネルギー危機を救うための仕事にやりがいを覚え、打ちこんできました。
同僚を事故で亡くすという経験もあり、田嶋は原発のおそろしさが骨身にしみています。今回のプロジェクトの顧問に就任してからは、前任者や父の発する不吉なことばを打ち消すように、徹底した安全管理に注力してきたのです。


一方のドンは、将来を嘱望された学者の息子として北京に生まれました。しかし、文化大革命の荒波をまともに受け、父が河南省下放され、少年時代を片田舎ですごします。
父の正義感を受けついだ兄が1989年に起きた天安門事件で逮捕され、拷問のはてに殺されるという事件が起こると、ドンは過激派の弟として差別を受けるようになりました。


社会の底辺からのし上がるため、ドンはあらゆる手段を尽くします。学歴も門閥もないなかで共産党への入党に成功すると、恋人を捨てて党幹部の娘と結婚し、さらに上を目指しました。


上司がドンに与えた次の指令は、紅陽核電をオリンピック開会式に合わせて完成させること。同時に、紅陽に隣接する大連市で党要人の汚職を摘発するという、もうひとつのミッションも与えられました。


本書に描かれる中国社会は、汚職と賄賂にまみれています。
原子力発電所の建設には安全の粋を集めなければならないのに、耐震工事は手抜きする、機材の品質は守らない、書類は平気で改竄する。
従業員も従業員で、整理整頓しないとか禁煙を守らないのはかわいいもので、禁止されているラジオを持ち込んで作業中に聞いていたり、少し監視をゆるめると、機材を盗んで持っていってしまいます。


日本では考えられない規律の中で、田嶋とドンは協力しながら工事の障害をひとつひとつ克服していきました。


最後のさいごに2人は対立し、原子炉を停止させよという田嶋の主張は受け入れられませんでした。


  誰にだってミスはある。適当に仕事を流す時もある。だが、原発
  いう怪物だけは、人間がわずかでも隙を見せた瞬間、取り返しの
  つかない暴走を始める。


かつて「チャイナ・シンドローム」という映画がありました。アメリカの原発の手抜き工事を告発した映画で、原子炉が暴走してメルトダウン炉心溶融)してしまうと、地球の中心を通り越して中国まで達してしまう、というジョークが語源です。


田嶋の不安が的中し、突然発電所のすべての電源が止まってしまう事故(ブラックアウト)が発生しました。


自己発電装置が不完全にしか起動しない状態で、原子炉を安全に停められるのか。
チャイナ・シンドローム」ならぬ「アメリカン・シンドローム」に至ってしまうのか……。


最後の1行まで目が離せない小説でした。