副題:おバカな21世紀、精神のサバイバル
著者:橘川幸夫 村松恒平 出版社:エンターブレイン 2007年10月刊 \1,260(税込) 221P
何度も読み返さないと先へ進めない本を久しぶりに読みました。
70年代のサブカルチャーの担い手で、今も独自の活動を続けている二人の対談です。
橘川幸夫さんは1972年に渋谷陽一氏らと『ロッキング・オン』を創刊し、編集室の管理人をしておられました。コピーライターの糸井重里さんが橘川さんの初対面の印象を「この人は『おれに言わせりゃの宝物殿』」と感嘆していたくらいで、
「日本とはこういうものだ」
「世界はこういうものだ」
「文明というものは……」
というふうに自分の社会観、世界観、人生観を持っている人です。
一方の村松さんは、雑誌『宝島』の編集者として、数々のベストセラーを生み出し、サブカルチャーの震源となりました。その後も「言葉と表現」という広い視点から時代の流れをとらえています。
言葉、文章と表現、教育、メディア、表現、心と自由など、お二人の活動に通底するキーワードについて語り合っていますが、ともかく中身が濃い。あんまり濃すぎて、何を言っているのか理解できない部分にもたくさんぶつかりました。
こんなに訳がわからない本は、学生時代に背伸びして吉本隆明や鶴見俊輔に食らいついて、みごとに挫折して以来です。
ただ、吉本隆明や鶴見俊輔は、使っている言葉自体が私の知っている語彙の範囲を超えていて、「もっとやさしく言ってみろよ」と悪態をつくことも可能だったのですが、今回のお二人は、難しいボキャブラリーを振り回しているわけではありません。
きっと、時間をかけて読み解けば、何を言わんとしているのか理解できるとは思うのです。しかし、そうやって無理して理解しようとしても、自分の腑に落ちない論理的思考は、何の役にも立たない、自分には縁のないものと割り切ることにして読了しました。
それでも本書は中身が濃い。
自分の腑に落ちた部分だけでも、ずいぶんと収穫がありました。
たとえば、自分を呼ぶ呼び方(一人称)についてです。
橘川さんは、かつて『ロッキング・オン』をやっていた20代の頃に「僕」をつかっていました。その後、30代のときに「私」に変え、インターネットが普及しだした頃に、また「僕」に戻しました。「僕」から「私」に変えた時も、「僕」に戻したときも「ある決意」をしたそうです。
かたや村松さんは、「僕」と「私」の間に一本の線があるとすると、「僕」のほうから「私」のほうに向かって4分の1ほど進んだ地点あたりに言葉が一つ欲しいと言いました。
一人称ひとつについて、これだけ熟慮して使っている、ということに驚き、なかば呆れると同時に、自分の一人称の使い方を振り返りました。社会人になって自分のことを「私」と呼ぶようになって、もう20年以上たちます。
最近は無自覚に「私」と使っていましたが、「僕」という語感に久しぶりに親近感を覚え、さっそく「僕」も使ってみることにしました。(10月29日のブログ参照)
もう一つ、文章を書く心構えについてズシンと感じた村松さんの言葉を紹介します。
頭脳から出てきた言葉は頭脳にしか届かない。
心から出てきた言葉は心まで届く。
魂から出てきた言葉は魂を動かす。
単純にそういうことなんだ。
尚、本書のタイトルは、村松さんの次の問題意識に由来しています。
人間がオートメーション、大量生産に巻き込まれるときの、「人間は交換
可能な存在だ」、という言い方、考え方、感じ方、これと僕は戦おうとし
ているといってもいいんだ。まことに微力ながらね。
最後にもう一度。
言葉は難しくありませんが、内容は難しい哲学対談です。
興味のある方は、手にとってみてください。