「僕」って言ってみようかな


いま『微力の力――おバカな21世紀、精神のサバイバル』という本を読んでいる。
この本のなかで、橘川幸夫さんが言った次のことばが心に残った。

ロッキング・オン』をやっていた20代の頃は「僕」だったのだが、30代のときにある決意をして「私」に変えたことがある。インターネットが普及しだした頃に、また、ある決意をして「僕」にしたんだ。私というのは、社会的立場からの発言になるんだよね。


自分のことを「私」と呼ぶようになって、もう20年以上たつだろうか。会社員として発言する時に、ちょっと改まって使うようになってから、すっかりプライベートでも「私」を使うのが当たり前になってしまった。


社会的立場からの発言、といえば、ブログを書きはじめたころ、最初は「である体」で書いていた。目にする多くの書評が「である体」で書いてあったから、何も考えずにこの文体を使いはじめた。
しかし、しばらくして気づいたのは、「である体」で書いたことは社会的立場からの発言になってしまい、それは「上からものを言う」と同じこと、ということだ。取りあげた本を偉そうに評価して、批評して、時には批判して、最後には何かしら気の利いた警句でしめたくなる。まるで、無責任なマスコミのように。
偉そうに書くのが好きな人はともかく、自分の場合はこれでは疲れてしまう。こんな書き方だと、表現の幅をせばめてしまうことに気づいた。
そうじゃない。「自分はたいしたものじゃありませんけど、こんなに面白い本を読んだから、ちょこっと紹介させてもらいますね〜」という雰囲気を出したくて、すぐに「です・ます体」に切り替えた。


あれから、もう3年経っただろうか。
橘川さんの言葉をきっかけにして、もっと社会的立場から私的立場に寄った文章を書いていきたいと思った。そう、20年以上つかっていなかった「僕」を使ってみようと思う。
「僕」を主語にした文章に「です・ます体」は似合わない。ついでに、文体も「だ体」に変えてみよう。
語り口を変えるのは面はゆい気がするが、きっとすぐに慣れるだろう。