城山三郎 命の旅


著者:佐高信/編 内橋克人/編  出版社:講談社  2007年7月刊  \1,575(税込)  190P


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今年3月に亡くなった作家城山三郎の追悼集です。


死後何年かして新潮社から出版するとすれば、写真中心の本が出来あがったかもしれませんが、本書の版元は講談社です。しかも編者は、反骨を通り過ぎて偏屈といってもいい二人の硬派言論人。
一風変わった追悼集に仕上がっています。


表紙からつづくカラー写真ページは、そのまま目次を経て「旅路にて」と題した第1章につづいています。
写っているのは、2004年5月に訪れたパラオコロール島。次に同年10月と翌2005年に訪れたウィーン。
痩せて枯れ木のようになった晩年の城山氏が、ひとりで大自然に向かい、歴史を刻んだ石畳を歩んでいます。
続く「城山三郎が愛した街」のページには、仕事場のマンションの写真が載せてありました。誰も座っていない椅子と散らかったままの机が帰らぬ主人を待っていて、城山三郎がこの世からいなくなってしまった淋しさを際だたせます。


第2章冒頭で佐高信氏と内橋克人氏が城山文学について対談したあと、『小説日本銀行』『落日燃ゆ』『男子の本懐』などの主要作品11作のあらすじを掲載しています。


ここまでは、私も知っている城山三郎でしたが、このあと第3章の「座談の名手」では、いままで知らなかった名インタビュアーとしての城山氏が登場しました。
あの厳格そうな城山氏がお笑いタレントのタモリと対談している。しかも、テレビで聞いたことのない私生活や仕事観をうまく引き出しているのは新鮮に感じました。


ところが、タモリの話をにこやかに聞いていた城山氏も、次に登場する宮澤元首相には強い口調で厳しく迫ります。
大蔵官僚が腐敗堕落するのも、若くして税務署の署長を経験させるような育成のしかたが悪いからだ、と指摘したあと、
  現金を平気で受け取るような役人になってしまうのは、
  驕りの教育のせいでしょう。あのエリート教育の仕方は、
  誇りじゃなくて驕りをつけさせるだけですよ。
と続けます。
宮澤元首相は、「なるほど」とうなずくしかありませんでした。


また、阿木燿子さんとの対談で、阿木さんがお酒を飲むと「頭がクラッとして、木に登るらしい」と打ち明けたとき、「こりゃ驚いたね」と合いの手を入れます。相手によって話し方を変え、話を引き出すインタビューの極意を会得しているようでした。
こんなに城山氏が柔軟な人だったとは驚きです。
知らなかった私が不勉強でした。


城山氏は2000年2月に、46年間も寄り添って生きてきた最愛の妻を亡くします。
第4章に収録された『「妻の死」を抱きしめて』を読むと、城山氏の喪失感の大きさが察せられます。


ところで、NHK教育テレビの「知るを楽しむ 私のこだわり人物伝」という番組で8月の特集に城山三郎を取りあげていました。4回にわたって作品と人となりを解説する内容です。
本ブログ8月5日号で取りあげた『ハゲタカ』著者の真山仁氏も第2回めに登場し、『小説日本銀行』を読みときながら、経済小説という新しいジャンルを確立した城山氏の偉大さを賛嘆していました。
第3回めに佐高信氏が解説してくれた強い反戦の思い、第4回めに元大分県知事の平松氏が回想する「打たれ強く生きる」姿も、追悼の思いに満ちたものでした。


なかでも、一視聴者として感慨深かったのは、やはり第1回めに息子と娘が語ってくれた素顔の城山三郎の姿です。
仕事場にしていた茅ヶ崎のマンションにもカメラが入りました。誰にも触らせなかったという机は乱雑そのもので、いまも城山氏の使ったエンピツやメモが散乱したままにしてあります。
窓からは茅ヶ崎の海岸が見渡せます。
烏帽子岩を正面に見ながら、執筆の合間にホッと一息つくこともあったのでしょうか。


息子杉浦友一さんが受験生だった頃、あまり針路の相談に乗ってくれず、気がつけば、教育問題を扱った『素直な戦士たち』を書き上げていた、という逸話は、何でも小説の題材にしてしまう小説家らしい一面をのぞかせていました。


経済小説という新分野を確立し、戦争を憎み、反権威・反体制を貫いた作家でした。
晩年の城山氏は、石原慎太郎に「小言幸兵衛」と言われるくらいの文句言いになりました。男はガンコジジイになり果ててやっと冥土のお迎えが来るのかもしれません。


妻の死から7年後の2007年3月、城山氏は入院先の病院で亡くなりました。
私は、特別に城山ファンというわけではありませんでしたが、やはり一時代を築いた作家の死には、厳粛な思いを感じました。


ご冥福をお祈りします。