著者:清水 義範 出版社:小学館 2006年10月刊 \1,680(税込) 254P
福沢諭吉が説いたとされる7ヵ条の心訓を題材に、福沢諭吉の謎を解明する一種の謎解き本です。
本の題名一部に「小説」という言葉が使われていますので、小説の中で謎を解くと思って読みはじめると、あ〜らびっくり。
第3章で小説家本人が登場し、あとは著者の清水氏が謎解きの主役になってしまいました。小説のストーリーを追うよりも、清水氏の研究報告を拝聴する、という斬新な趣向に変わります。
ちょっと斬新の度合いが強すぎて少し戸惑いましたが、清水氏の鋭い問いの立て方に、ぐいぐい引き込まれましたよ。
小説は昭和36年の九州を舞台に始まりました。
農機具のキャンペーンにやってきたセールスマンが、福沢諭吉が説いた7ヵ条の心訓に出会います。
世の中で一番楽しく立派なことは
一生涯を貫く仕事を持つことです
世の中で一番みじめなことは
教養のないことです
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世の中で一番悲しいことは
うそをつくことです
ひとつひとつが、自分を幸せに導いてくれる名言と感じ、東京に帰ってからきちんと清書しました。子どもが大きくなってくると、この心訓の精神を教え、大切に伝えていきます。
場面は現代に飛びます。
老人になった男(かつてのセールスマン)は認知症が進んでしまい、家族に心配をかけていました。
書道が脳の活性化に良いと聞き、家族が男に心訓を筆字で書くことを勧めます。そんなある日、家族は、この心訓の作者は福沢諭吉ではない、という噂を耳にしました。
ここで男のお嫁さんの親戚として清水氏が登場。相談を受けた清水氏は、福沢諭吉の本を買いこんで、噂の真偽を確かめるための勉強をはじめました。
調べていくうちに、清水氏は、もっと大きな謎に取り憑かれます。
・一万円札にもなった人なのに、なんで、こんなに福沢諭吉の業績や
人となりが知られていないのだろう。
・福沢諭吉は“脱亜入欧”を説いたそうだが、植民地主義者だったの
だろうか。
・「心訓」が福沢諭吉の作でないのなら、諭吉を名乗ってこれを書いた
人は、「世の中で一番悲しいことは うそをつくことです」に矛盾を
感じなかったのだろうか。
考えに考えて、清水氏は自分なりの結論に達します。
たとえ福沢諭吉が死んだ後に書かれたものだとしても、「心訓」は福沢諭吉が遺した教訓と考えてよい。
さて、その理由とは……。
実は、清水氏本人が作品の中に文学探偵として登場するのは、これが2作目。
この本の2年前に書かれた『漱石先生大いに悩む』は、友人から託された手紙を「私」が解読する、という場面からスタートします。調べていくうちに、手紙を書いたのが夏目漱石らしいということが分かってきます。
しかも漱石が小説家としてデビューした『我輩は猫である』の執筆動機を述べた手紙で、ひょっとしたら大発見かもしれない、と続いていきます。
そのうち文学探偵の第3作が読めるかもしれません。