自壊する帝国


著者:佐藤 優  出版社:新潮社  2006年5月刊  \1,680(税込)  414P


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先日、読者さんから
  今度「佐藤優さん」を取り上げて頂けませんか
というメールをいただきました。
読者の方から本や著者を推薦いただくことは珍しいことです。せっかくなので読んでみることにしました。


以前、田中真紀子外務大臣鈴木宗男議員が外務省を舞台に主導権争いを行ったことを覚えておられるでしょうか。その結果、田中真紀子氏は大臣を更迭され、鈴木宗男氏はマスコミからバッシングされ、とうとう逮捕・起訴されました。
2002年のことです。
著者の佐藤優氏は、鈴木宗男氏の外務省内協力者と報道され、やはり当時のマスコミで連日のように取り上げられていました。佐藤氏も、やはり逮捕されて、2005年2月に執行猶予付き有罪判決を受けますが、その直後の2005年3月に『国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて』を出版しました。
国家の罠』では、鈴木宗男氏や自分の逮捕は「国策捜査」であると断定し外務省内部の権力闘争や自民党の内部抗争が遠因だったと書いているそうです。


読者から佐藤優氏を取り上げるよう推薦いただいたとはいえ、権力闘争について片方の主張を読むことにためらいを覚えます。といって、双方の言い分を丹念に読み比べるほどこの事件に関心があるわけでもありません。


ということで、私が選んだ佐藤優氏の著作は、本書『自壊する帝国』です。


本書は、ゴルバチョフペレストロイカによって結束力を失ったソ連が崩壊していく状況を、日本人外交官として現地モスクワで立ち会っていた著者が記した回顧録です。
同時期に『国家の崩壊』も出版していますが、そちらは理論的側面で、本書『自壊する帝国』は人間の物語という切り口からソ連崩壊を描いている、と佐藤氏は自作を解説しています。


佐藤氏は1985年にノンキャリアとして外務省に入りました。
学生時代に同志社大学の神学部大学院でキリスト教を研究していたのですが、研究対象のチェコ神学者が反ソ主義者とみなされていたため、直接チェコスロバキアに留学することができません。おりしも外務省専門職の募集要項に「チェコ語研修」という文字を見つけ、応募したのでした。
しかし、学者志望の強い大学院生は研修終了後に退職する例も多く、人事課が警戒したせいか、佐藤氏はロシア語研修を命じられモスクワに赴任することになりました。
神学研究の夢を断ち切れない佐藤氏は、モスクワ大学での語学研修の合間に哲学部の科学的無神論学科にも顔を出すようになり、ここで運命的な出会いを迎えます。


佐藤氏が出会ったのは、バルト三国ラトビア出身の学生で、アレクサンドル・ユリエビッチ・カザコフという名前でした。意気投合した2人は、サーシャ(カザコフ氏)、マーシャ(佐藤氏)と愛称で呼び合う関係になります。
反体制派の一歩手前の「異論派」のサーシャと付き合うことは、日本人外交官という立場の佐藤氏には一種のリスクを伴いました。しかし、サーシャの不思議な魅力に惹かれた佐藤氏は、危険を冒しながら交遊を深めていきます。
サーシャが紹介してくれる反体制派の人脈は他の大使館員からも一目置かれ、サーシャの意見を参考にした政治分析は的確で、外務省内で高い評価を受けました。


身長180センチ、スポーツマンタイプの美男子であるサーシャの生活は、一種のハーレムと呼びたくなるような奇妙なものでした。
寮の6人部屋をうまく調達して、5人の女子学生と同棲生活をしていたのです。サーシャは、みんなとセックスしているようですが、乱交パーティーをするわけでもなく、セックス系カルトとも雰囲気が違いました。しかも、故郷ラトビアには年上の夫人も待っているとのこと。
淫蕩な生活は、ドストエフスキーの小説『カラマゾフの兄弟』の世界を連想させる、と佐藤氏は言っています。(私は、体制を破壊する神学科の学生で、しかも淫蕩な側面を持つということから、佐藤賢一の小説『カルチェ・ラタン』の主人公ミシェルを連想しました)


あれほど強固と思われたソ連があっけなく自壊していくクライマックスに向かって、著者の回想は淡々と進んでいきます。
サーシャに紹介された人物の中には、信念を曲げて時代に合わせて政界を泳ぎ回る人間もいれば、旧体制に殉じる人間もおり、中にはアルコール中毒で内部から崩壊していった人間もいました。
1991年のソ連体制の崩壊後、サーシャは政治の世界を離れてビジネスマンになり、佐藤氏からは縁遠い金儲けの世界に行ってしまいす。


2002年、「国策捜査」により佐藤氏の逮捕が間近となったころ、心配したサーシャから8年ぶりにメールが届きました。近況報告のあと、メールには「出来ることがあれば何でもする。連絡をよこせ」と書いてありました。
返事を書きあぐねているうちに、とうとう逮捕の日がやってきました。
「検事が来る」という知らせを受けた佐藤氏が、迷惑のかからないようサーシャのメールをパソコンから削除したところで、この長いノンフィクションが終わります。


本書は、第38回大宅ノンフィクション賞受賞、第5回新潮ドキュメント賞受賞、「新聞・雑誌の書評担当者が選ぶ最高! の本」第1位獲得という評価を得ている本です。
400ページを超す読み応えのある本ですが、最後まで読者を飽きさせることがありません。
腰を据えてトライしてみてはいかがでしょうか。