フェラーリと鉄瓶


副題:一本の線から生まれる「価値あるものづくり」
著者:奥山 清行  出版社:PHP研究所  2007年4月刊  \1,365(税込)  193P


フェラーリと鉄瓶―一本の線から生まれる「価値あるものづくり」    購入する際は、こちらから


塩野七生著『ローマ人の物語』を読んだおかげで、イタリアに親近感が湧くようになりました。
フランス料理店には1度しか行ったことがありませんが、イタメシブームとは別に、よくイタリアンレストランに足を運んでいます。……といっても、サイゼリヤですが(笑)。

そんなとき、「フェラーリ」をタイトルにした2冊の本を目にしました。『フェラーリと鉄瓶』と『フェラーリを1000台売った男』です。
迷わず『フェラーリと鉄瓶』を選びました。
ビジネスのヒントを探すなら、「……1000台売った男」の方でしょう。こういうところに、私の読書傾向が現われていますねえ。先日も『新聞記者司馬遼太郎』に書かれていた「無償の功名主義」に共感したりして、どうも私の読書は、立身出世につながっていないようです。
ということで、売上や利益に直結した知識を求めている方は、『フェラーリを1000台売った男』の方をお読みください。


本書は、高級車フェラーリの中でも、創業55周年の大切な節目となる記念モデル「エンツォ・フェラーリ」を設計した工業デザイナーの奥山清行氏の初めての著作です。
奥山氏は、武蔵野美大を卒業後アメリカに渡り、GM、ポルシェでカーデザイナーの腕を磨き、フェラーリ等のデザインを請け負うイタリアのカロッツェリア(開発型デザイン工房)の要職を経て、2006年に独立しました。
一度も日本のサラリーマンとして働いたことがない著者が、独立を機に、ちょっとだけ立ち止まって、イタリアと日本の仕事のしかたの違い、自動車業界の未来予測、日本のものづくりのあるべき姿などについて語っています。


「人よりモノ」とか「チームより個人」のような、一般的によく聞く話と逆のことを主張していて、とても興味深く読める内容です。


奥山氏によると、イタリア人は、大量生産が苦手で少量生産が得意です。昔から、職人が細部に至るまで神経を行き届かせながら、丁寧な物作りをする伝統があり、その姿勢が、多くの高級ブランドを生んでいます。
たとえば、フェラーリには、需要よりも1台少なく生産するという創業者の哲学があり、奥山氏がデザインを担当した「エンツォ・フェラーリ」記念モデルの場合は、生産予定台数の10倍の予約申し込みがありました。
フェラーリは、予約してくれたお客さんの中から、過去に2台以上買ってくれた実績があるか、地元の名士であるかなどを考慮して、ブランドにふさわしい人に販売を決定します。
購入できた人は、「自分は選ばれた人間だ」という満足感を手にし、購入できなかった人は、記念モデルではない通常モデル(それでも、とんでもなく高額の高級車ですが)で我慢し、次のチャンスを待ちます。
こうして「お金を出しても買えないものを売る」ということがイタリアのブランドとし定着します。


大量生産はアメリカにやらせておけばいい。きっと心の底で大量生産の文化を軽蔑しているにちがいないのです。


その大量生産の原点ともいえる自動車産業は、燃料電池の時代を迎えると、大変な価格競争に突入するかもしれません。基幹部品を燃料電池のトップメーカーに押えられると、どの自動車メーカーも似たり寄ったりのクルマしか出せなくなります。
あと20年もしないうちに、自動車メーカーが、現在のパソコンメーカーのような姿になるかもしれないのです。
そうならないために、日本のものづくりの将来のために、職人文化を伝承しなければならない。そのためには、……と、著者の提言が続きます。


目の前の利益を追求する本ではありません。
自分の仕事のしかたに当てはめて読んでみてはいかがでしょうか。


本書には、奥山さんの修行時代のこと、管理職として失敗してしまったことなども赤裸々に書かれています。
特に印象的だったのが、少年時代の次のエピソードです。


奥山さんは、子どものころからデザインが大好きでした。
サンダーバード」や「ウルトラマン」のテレビを見る時は、必ずスケッチブックと粘土を傍らに置いていたということです。ふつうの子どもが単純にテレビを楽しんでいる間に、奥山さんはサンダーバードのスケッチ画や、怪獣の粘土模型を完成させてしまいました。
知らず知らずのうちに、自らカーデザイナーの英才教育を課していたようなものです。


そんな奥山さんですので、今でも、日常的に手を動かして“絵”を描いています。手を動かすことがアイデアを導き出し、頭で考えるよりもはるかに上のレベルに到達することができる。そう奥山さんは実感しています。


書評を書いている私が面白かったのは、文章も同じようなものだ、と奥山さんが次のように言っていることです。

  文字をある程度あらすじ的に配置して、それを動かして間を言葉で埋め
  ていくうちに、ようやく自分が本当は何を書きたかったのかがわかるこ
  とがあります。(中略)
  霧の中を模索するうちに少しずつ見えてくる。この「少しずつ」という
  感じがいいんですよね。


日垣隆氏や浅田次郎氏は、頭の中に完成した文章が湧いてくる、という意味のことを言っていました。
凡人は、そんな「文章が降ってくる」という才能も経験も無いのですから、これからも奥山さん方式で言葉を並べたり置き換えたり、試行錯誤しながら作文していこうと思います。