散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道


著者:梯 久美子  出版社:新潮社  2005年7月刊  \1,575(税込)  244P
(かけはし くみこ)


散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道


太平洋戦争末期、硫黄島の戦闘を指揮した栗林中将の人となりを追いながら、友軍も補給も絶たれ、望みのない戦闘を最後まで戦った日本軍の悲惨さを描くノンフィクションです。


多くの人物ルポルタージュを手掛けてきた著者は、栗林中将の遺書を読んで、当時の軍人としては日常的で所帯臭い内容に興味をもちました。この異色の指揮官のことをもっと知りたいと思い、独自の取材が始まります。
遺族に見せてもらった硫黄島からの手紙には、米軍が関東平野に上陸して日本が大混乱に陥ることを予想したり、はっきりと日本の敗戦を前提とした内容が書かれていました。
普通ならこんな手紙が検閲を通るはずはなく、最高指揮官だからこそ家族に届いた内容です。


なかには、勝手口の隙間風の防ぎ方を説明している手紙もあり、封建的な家父長制度のなか、珍しく優しい父親だったことを伺わせます。
兵士の一人ひとりにも話かけ、決して偉ぶらない人柄でしたが、栗林中将は、絶望的な守備戦を最後まで戦うことを求める最高指揮官でもありました。


硫黄島が陥落すれば、東京は空襲にさらされることになる。
それを少しでも遅らせるために、当時の常識だった海岸線での防御をやめました。いったん敵を上陸させてからの長期の攻防戦に耐えるよう、島全体に地下道を構築することを命じます。
当初は5日もあれば陥落する、と高をくくっていたアメリ海兵隊でしたが、日本軍のあまりの抵抗に、1日に数十メートルしか前進できないこともありました。


華々しく見えても兵力を損なうだけの万歳突撃を禁止し、水も食料も補給できない地獄のような戦場で部下を死なせた栗林は、いよいよ司令部が陥落する事態になったとき、またも常識をやぶる行動に出ました。
当時の慣例では、最後の総攻撃を命じたあと、総指揮官は陣の後方で切腹すると決まっていました。しかし、栗林は「予は常に諸子の先頭に在り」と宣言し、残った陸軍・海軍約400名の先頭に立ちました。
3月26日午前5時過ぎに栗林の指揮する部隊は、海兵隊と陸軍航空部隊の野営地を襲撃します。
約3時間におよぶ戦闘で、米軍に約170名の死傷者という損害を与えたあと、生き残った日本兵は飛行場に突入し、栗林もここで戦死を遂げます。



硫黄島の戦いの悲惨さが胸を打つのはもちろんですが、本書には、栗林中将の家族や生き残った兵士たちへのインタビュー、現地取材の実況報告が重層的に描かれています。
軍人にはめずらしく家庭的な指揮官に興味を持ったものの、最初のうちは、硫黄島の戦闘の内容を、著者はよく理解していませんでした。調べていくうちに、この戦いがどれほど絶望的で壮絶なものだったか少しずつ理解していきます。
本書の構成も、栗林中将の所帯じみた人間性を紹介するところから始まり、やがて、硫黄島の戦闘の様子が明らかになる、という構成をとっていました。


十分な取材をしている著者ですから、最初から悲惨な戦闘場面を登場させることも可能だったでしょう。しかし、それでは読者が付いてきてくれません。最初は指揮官の人間的な人柄にふれさせ、読者が読みすすんでいくうちに自然に戦場の描写に移る、という進め方は見事です。
著者の筆力の確かさを証明するような本書は、2006年大宅壮一ノンフィクション賞を受賞しています。



ちょっと話は映画に飛びますが、クリント・イーストウッド監督作品の「硫黄島からの手紙」がアカデミー賞候補となり、話題を呼んでいます。
この作品は見ていませんが、硫黄島が日本に返還された2年後の昭和45年に公開された硫黄島の玉砕戦を描いた映画を見たことがあります。主にアメリカ軍の記録フィルムを中心に、何十日も続いた日本軍とアメリカ軍の戦闘を追ったドキュメンタリーでした。
当時、高校一年生で一人暮らしを始めたばかりだったので、門限はありません。2回続けて激しい戦闘シーンを見て、下宿にたどりついたときには、心身ともにヘロヘロになっていました。
たしか、「硫黄島」という題名だったと思うのですが、google でも、見つかりません。
この映画をご存じの方がいらっしゃいましたら、監督名など教えていただけとうれしいです。