著者:浅田 次郎 出版社:集英社 2016年6月刊 \1,512(税込) 252P
太平洋戦争が終わって71年。
戦争の語り部は年々少なくなっていく。
「戦争を知らない世代」という言葉も古くなってしまったが、戦争が庶民の日常を破壊してしまうということは、肌感覚で伝えていかなければならないと思う。
今日の一冊は、戦場に行った男たちの生と死をテーマにした連作短編集を取りあげる。
著者の浅田次郎氏はよく知られた作家なので、プロフィールは省略する。
収録されている6編の小説はいずれも「小説すばる」に掲載されたもので、主人公はすべて出征兵士である。
一人ひとり事情と境遇はちがっているが、ふるさとに家族を残し、後ろ髪をひかれながら徴兵された。
彼らを待っていたのは、激烈な戦場だ。
マリアナのテニアン島、ニューギニア、フィリピンのレイテ島、パプアニューギニアのブーゲンビル島、太平洋の海底……。
日本から数千キロもはなれ、故郷と家族を思いながら死んでいく兵士もいれば、激戦をかいくぐって生き残り、故郷をめざす者もいる。
男たちに共通しているのは、戦争のおかげで家族とふるさとから引き裂かれてしまった、ということ。
静かな哀しみにみちた6編の中から、2編目の「鉄の沈黙」のあらすじを紹介させてもらう。
主人公の清田吾市は大学の工学部を出たあと、大阪の造兵廠(ぞうへいしょう:軍隊直属の工場)に勤務する技術者だった。
応召して南方戦線に送られ、パラオ、ラバウル、ニューブリテン島のツルブを経て、段列(後方支援部隊)の命令でニューギニアの前線陣地にやってきた。
こわれた高射砲を修理するために食料、弾薬といっしょに大発艇(上陸用舟艇)に乗せられてきたのだ。
師団の主力部隊が転進(退却)するなか、敵の追撃を阻止するために残された前線陣地は、毎日のように空襲にさらされていた。
時間かせぎのために戦う部隊では、酒を飲んでくだを巻く古参の伍長やマラリアの熱にうなされながら「キニーネ、ねえのか」と荒い息をはく兵長たちが、一等兵の清田に前線の状況を教えてくれる。
敵の爆弾で掩体(えんたい:敵の攻撃から守るためのシェルター)が破壊された現場に居合わせた経験談や、戦場では禁忌とされる故郷に残してきた家族の話が消灯まで交わされた。
砲兵隊に配属された兵隊は、自転車屋、旋盤工、大工、左官など職人出身者が多いという。
職人なら機械に強いと判断されたのだろう。
夜明けとともに、清田は八八式野戦高射砲の修理をはじめる。
ようすを見にきた軍曹に、修理がおわったら後方にさがるよう言われたが、清田はすなおに言うことをきかない。
大工や左官や、旋盤工や自転車屋が、工場で造った砲をこんなに大切にしてくれているのに、工場からの給金で養われ、大学の工学部まで進ませてもらった専門技術者が、砲に背を向けて立ち去ることなどできるはずはなかった。
(中略)
戦が終わって、自分が兵器ではない何かを造るのなら、大村兵長は家を建て、鈴木一等兵は壁を塗り、志茂兵長は女房と二人して自転車を組み立て、渡辺上等兵は旋盤を回していろいろなものをこしらえるのだろう。
ならば自分だけが、この陣地を出て生きる理由はない。
午前9時ぴったりに、米軍の重爆撃機編隊が姿を見せた。
修理の終わった八八式高射砲が次々と弾を撃ちあげる。
自分のつくった高射砲が実戦で使われる様子を見た清田は、息をつめて弾のゆくえを追う。
物量にまさる米軍との戦闘はどうなるのか。
清田一等兵たち砲兵隊の運命は……。
他の5編からも、戦争によって引き裂かれた男たちの哀しみが湧きあがってくる。
世の中がどんなにきな臭くなっても、戦争がどれだけ庶民の日常を奪っていくかを忘れず、「戦争はいやだ」という感情を大切にしていきたい。
もう一冊
2010年にも浅田次郎氏の反戦小説『終わらざる夏』を紹介した。
著者:浅田 次郎 出版社:集英社 2010年7月刊 各\1,785(税込) 467P,458P
また、同じ書評の中で、シベリア抑留の体験を絵画にした『キャンバスに蘇るシベリアの命』も紹介した。
著者:勇崎作衛/絵 石黒謙吾/構成 出版社:創美社 2010年8月刊 \2,592(税込) 143P
その後、『キャンバスに蘇るシベリアの命』は絶版になってしまったが、ことし別の出版社からタイトルを変えて復刊されている。
書名:シベリア抑留 絵画が記録した命と尊厳
著者:勇崎作衛 石黒謙吾 出版社:彩流社 2016年8月刊 \2,484(税込) 143P
元気が出るような本ではないが、よろしかったら手にとっていただきたい。