銀座・ひとと花とミツバチと


著者:銀座ミツバチプロジェクト編  出版社:オンブック  2007年3月刊  \1,680(税込)  143P


銀座・ひとと花とミツバチと


銀座の真ん中で本物のハチミツを採取するプロジェクトの一部始終を追ったドキュメントです。


2006年の春、銀座4丁目の交差点にほど近い「紙パルプ会館」ビルの屋上に、3つのミツバチの巣箱が運び込まれました。銀座ではたらく人々が結成した「銀座ミツバチプロジェクト」が、いよいよ活動をスタートさせたのです。
きっかけは、4ヵ月前の、ある食事会での会話でした。
岩手県の養蜂家が東京でミツバチを飼える場所を探している、という話題が出たとき、面倒見のよい紙パルプ会館の田中さんが、「じゃ、うちのビルの屋上を貸してあげましょうか?」と発案しました。
数日後やってきた養蜂家の藤原さんは、ビルの屋上を見学したあと、「ミツバチを飼うなら、お二人ともしっかり勉強してくださいね」と言いました。
どこでどう間違ったのか、自分は先生役として呼ばれてきた、と思っていたのです。


この、ちょっと強引なミツバチの伝道師に出会ったことで、銀座のミツバチプロジェクトは始動しはじめます。ミツバチに取り憑かれ、岩手の藤原養蜂場に通っている高校生養蜂家の福原君の協力を得られることが決まり、いよいよ2006年の春にミツバチがやってくることになりました。
農業や健康について意見交換する「銀座食学会」の会員や、銀座の街の歴史や文化を学ぶ「銀座の街研究会」に協力を呼びかけたところ、すぐに10人のメンバーが集まりました。
沖縄からはるばるやってきた巣箱を屋上に設置し、風よけの柵で回りをかこみ、いよいよフタをあけるメンバーたち。ミツバチたちは元気に巣から顔を出し、銀座の真ん中のビルから、春の空に次々と飛び立っていきました。


メンバーは、ミツバチが一生懸命に蜜を集めてくる姿に、いままで経験したことのない感動を覚えます。
なにしろ、自分の体重の四分の一くらい蜜を吸い、両足に花粉をつけて戻ってくるのです。人間にたとえると、スイカを3つくらい持ち運んでいるような姿を見ると、「がんばれよ」と応援する気持ちになりました。


客商売をする街の真ん中にハチの巣箱を設置するのからには、「だれかが刺されたらそこでやめざるを得ない」とプロジェクト責任者は覚悟を決めていました。
しかし、心配無用でした。
ミツバチは人間がいじめたり、捕まえたりしなければ人を刺したりしません。東京の他の場所での養蜂が5年間無事故を続けている、という実績もあります。


順調にハチミツの収穫が得られるようになり、せっかく銀座で採取したハチミツを銀座で使ってもらうよう、いろんなお店にはたらきかけました。
結果は、マドレーヌ・ケーキなどのお菓子やパンの材料になったり、「銀座のハチミツ」をテーマにしたカクテルに使われたり。変わったところでは、JTB銀座支店で新婚旅行を申し込んだ人に、シャレで「ハニームーンおめでとうございます」と銀座の蜂蜜を差し上げる、なんていうサービスにも使われました。


本書には、ミツバチの生態も解説してあり、さらに、このプロジェクトを取材した米倉斉加年(俳優)の寄稿や、地元の人がこのプロジェクトに寄せる思いも載っています。


かつて地方から上京した貧乏な演劇青年だった米倉氏は、収入の乏しいなか、現実に押しつぶされそうになると銀座に出ました。手の届かない高級品に見とれ、歩く人々の華やかなファッションを観察して過ごしていたのです。
  銀座は現実も夢と同様に届かなかった。だから銀座なのだ――。
と米倉氏はふり返ります。
一方、銀座に住む人がどんどん減るなか、鳶の長谷川さんは今も銀座三丁目に住んでいます。消防「も組」の頭もしている長谷川さんは、わが街でハチミツが取れると聞き、いても起ってもたまらず、あちこちに口利きをしはじめました。
いろんな人のいろんな「銀座」に対する思いが、「銀座でハチミツが取れる!」をきっかけに飛び回ります。


収量も当初の5倍に増え、週に20キロのハチミツの収穫が続くようになった6月、巣箱は高校生養蜂家の福原君に引き取られて、2006年のプロジェクトはいったん終了を迎えます。


2007年のプロジェクトスタートも、もうすぐです。