幸せって何?

著者:高橋 朗  出版社:ナナ・コーポレート・コミュニケーション  2006年10月刊  \1,365(税込)  246P


幸せって何? (Nanaブックス)


12月27日のブログで取り上げた『僕は一生サラリーマンなのだろうか?』の続編です。
前作で、仕事について、社会について、じっくりと考え込んだ中村修平は、今度は「自分は何のために生きているのか?」という疑問を抱いてしまいました。


今回は「幸せになるためのコンサルタント」という不思議なアドバイザーが登場し、それ以外に取引先の年輩部長からもヒントをもらったり、激励されたりしながら、修平は考えを深めていきます。
修平の前に現れたコンサルタントは、どんなことでもきちんと考える癖をつけることが大切。何となく……、で終わらせてはいけない、というアドバイスからハッピーコンサルティングをはじめました。
ロン毛でジーンズという服装で現れたコンサルタントに修平は戸惑いますが、自分の固定観念を壊してくれそうな気がして、彼とコンサル契約を結びます。


修平が真剣に考えていることがやがて数人の部下にも波紋を呼び、コンサルタントの助力のおかげもあって、職場のコミュニケーションが劇的に良くなりました。
目の前の問題を解決した修平は、思春期のころに未解決のまま置き忘れてきた問題に再チャレンジを開始します。
それは、自分は何のために生きているのか? ということを考えることでした。


真剣に真剣に考えた修平が見つけた結論とは……。


前作と同様に、修平は一つの結論に達しますが、著者は「誰でもこういうことをすれば絶対に幸せになれる、という方法はない」と最初に宣言しています。
本書は、読者ひとり一人が、修平といっしょに考えるための小説です。この本に答えが書いてあるわけではありません。


自分自身にとっての幸せのつかみ方を見つけるヒントとしてお役立てください。


主人公の修平がどのように考えを深めていったかは、本書を読んでいただくとして、本書の中に登場した『アクション・ラーニング』という本も紹介しておきます。
コンサルタントに紹介されたこの本を読んだ修平は、部下たちとアクション・ラーニング手法に基づいたセッション(一種のブレーンストーミング)を開催することを思い立ち、このセッションが本書のクライマックスになっています。
アクション・ラーニングというのは、「学習する組織」を構築する手法だそうで、ハーバード・ビジネススクールの教授がマネジメント手法として解説した同名の本がダイヤモンド社から出ています。


アクション・ラーニング (Harvard business school press)

アクション・ラーニング (Harvard business school press)


『幸せって何?』の著者である高橋さん自身が、トヨタ自動車のレクサス日本市場導入プロジェクトに3年間にわたって参画した、というコンサルタントですから、きっと画期的な手法なのでしょう。
私は読んでませんけど(笑)、興味のある方は、お試しください。


ところで、前作『僕は一生サラリーマンなのだろうか?』のブックレビューを読んだ読者の方から反響がありました。
「読者」といっても、この本を贈っていただいたナナ・コーポレートの担当編集者の方です(笑)。


いただいたメールのなかに、
  きちんと読み込んでいただき、感謝です。
  でも、あまり感動はしませんでしたか?(笑)
という一文がありました。
自分の書いた文章を読み返してみると、確かに、感動的な本を読んだ! という高揚感が少ないですね。


どうしてでしょう。


書いた時の心情を思い出してみたところ、
  「この本にのめり込み過ぎないようにしよう」
という抑制が働いていたことに気づきました。


『僕は一生……』は、サラリーマン人生について、社会について、生きがいについて、読者もいっしょに考えこんでしまう本でした。でも、本の題名が題名ですので、この問題をとことん突き詰めて考えてしまうと、「会社を辞めよう」という結論に達してしまうかもしれません。
20代で独身の若者ならそれでもいいのでしょうが、妻も子もいる中年会社員の身では、簡単に会社を辞めることはできません。
私の場合、あまり真剣にこの本の世界に入ってはいけない、というブレーキがかかってしまったようです。


ところが、今度の本のメインテーマに挙げられているのは、もっともっと大きな「幸せって何?」という問いです。あまり真剣に本の世界に入ってしまうと、会社も家庭もリセットしてしまいたくなるかもしれません。ひょっとすると人生をはかなんで、華厳の滝に飛込んでしまいたくなるかもしれませんよ。


でも、そういう余計な心配は、今度は湧いてきませんでした。


きっと、前作を読んで著者の考え方が前向きなのがよく分かり、信頼していたからでしょう。


この著者なら、変な方向に読者を導いたりしない。――という予想は当たっていました。
安心して本書にのめり込んでも大丈夫ですよ。
主人公といっしょに人生について、生きがいについて、考えてみてください。


もうひとこと、もう二言、もう三言


本書は、いろんなことを考える触発剤になります。
本書に刺激されて、私もゆっくりと考えを巡らせました。


あんなこと、こんなこと考えた中から、3つ書きます。

その1 ―― 後悔について


修平の部下のゆかりは、本書のなかで「思い悩んでも無駄だ」と言っています。確かに、後悔というのは、後ろ向きの感情かもしれません。いくら悔やんでも過去は取り戻すことはできない、と言われればその通りです。


でも、後悔や悔恨というのは、心の奥深くからわき起こってくる強い情動です。心の表層よりも奥底の動きのほうが、人間を動かす力が大きいに違いありません。根底から人間を変える働きを持っているのは、むしろ、一見ネガティブそうなこういう種類の感情なのではないかと思います。


前回取り上げた『クリスマス・キャロル』でも、主人公のスクルージは、若き日の自分の姿を見せられて、また将来の自分の死の姿を見せられて、深い後悔にさいなまれました。
「もう見せないでくれ」と幽霊たちに何度も叫びました。
しかし、その激しい悔恨があったからこそ、朝を迎えたスクルージは、「まだ間に合う」と、生き方を変える決意を固めることができたのです。


もっと「後悔」を前向きに評価しても良いのではないかと思います。

その2 ―― 他の人の人生と入れ替える?


他の人の境遇を羨ましいと思っても、その人と人生を入れ替えることはできません。ですから、「他人を羨望する」という後ろ向きの感情は、私も無益なことと思っています。
でも、そうやって自分の人生を入れ替え可能と思ってみることは、自分を少し高いところから相対化してみることにつながるプラス面もあるように思います。


子どもの頃、私は、となりに住んでいる同級生のマスミちゃんが羨ましくてしかたありませんでした。
だって、私の家は3人兄弟(姉・私・弟)に両親を加えた5人家族なのに、マスミちゃんの家は、兄弟が5人もいて、しかもおじいちゃん・おばあちゃんもいる9人家族。うちは平屋建てなのに、マスミちゃんちは2階もあります。
いつもマスミちゃんの家に遊びに行くたび、楽しそうな大きな家を見て、「いいなあー」と思ってしまいました。


「えいっ!」とマスミちゃんと入れ替わる魔法を使っちゃえばいいんだ、とも思いましたが、子ども心に、「せっかくこっちの家に生まれてきたんだから、もう少し、こっちの家に居てやってもいいかなあ」と考えたことを思い出します。


もう、「えいっ!」という魔法は忘れてしまいましたけど……。

その3 ―― 人生を楽しむ


本書に登場するコンサルは、人生を楽しむことをテーマに考える場面で、
  「くだらないテレビ番組をだらだら観ることは、人生を楽しむとは言わないだ
   ろう? 人生を楽しむっていうのは、意味のある人生を送るってことだよ」
と発言していました。


私も20代や30代の頃は、同じ考えをしていました。でも、40代も後半になって、少し考えが変わってきています。
努力努力、頑張れ頑張れ、という上昇志向の人生に、少し疲れてきました。そんなに努力ばっかりしていて、いったい、人生の何を楽しむのでしょう。


最近の私の(読書とブックレビュー以外の)楽しみは、お笑い番組を家族といっしょに見ることです。
昔から見ている「笑っていいとも増刊号」、「とんねるずのみなさんのおかげでした」、「エンタの神様」などは、まだまともな部類ですが、最近のお気に入りの「Qさま」、「リンカーン」、「めちゃいけ」は、それこそ「くだらねー!」と自分でも思ってしまいます。


でも、がんばった一週間の終わりに、カミさんと娘と一緒に「ガハハッ」と笑っていると、「シアワセだなー」とシミジミ思うのです。


長い人生でも、こうして家族と一緒に過ごせる時間は短いに違いありません。
この貴重な時間を、少しでも大切にしたい。
だから、くだらないテレビ番組でも、一緒に笑って見ていたい。
それが、今の私の幸せです。



なんだか、3つとも本書の内容に反論するような内容になってしまいました。
でも、本に書かれている通りにしか考えないのは、むしろ不自然です。それだけ本書が私の思考を刺激してくれた、ということでしょう。
それに、上に書いた3つ以外は、修平の考えることにフムフムと納得していますので、誤解のないように(笑)。