僕は一生サラリーマンなのだろうか?


著者:高橋 朗  出版社:ナナ・コーポレート・コミュニケーション  2005年12月刊  \1,365(税込)  268P


僕は一生サラリーマンなのだろうか? (Nanaブックス)



城山三郎高杉良が経済人を主人公にした良質の小説を書き、ビジネス小説というジャンルを確立しました。
私も何冊か読みました。
ドキドキしながら物語の進行を追っているうちに、経済や社会情勢に詳しくなった気がして、少し得した気持ちになったものです。


本書も、主人公の身の回りに起こる出来事を通じて、自己責任、成果主義格差社会など社会的に話題になっていることがらを理解させてくれるので、敢えて分類するとビジネス小説に入るのかもしれません。


しかし、本書と従来のビジネス小説には、大きな違いがあります。


いわゆるビジネス小説を読み終わったあと、主人公の強烈な生きかたに感動した余韻が残りますが、あまり経済や社会情勢のことを深く考えなおしたりすることはありません。
かたや、本書の主人公はどこにでも居そうなサラリーマンですので、読み終わったあと彼の活躍を何度も思い起こす、ということはありません。その代わり、本書に登場する大きな問い――仕事って何だろう、会社って何だろう――について、自分なりの答えを出そうとして考え込んでしまいます。
極論すると、「ビジネス小説」はあくまで主人公がメインで、社会的情勢等は物語の背景にすぎません。
一方、本書は、仕事を取り巻く環境や働く人の生き方を考えてもらうことが中心で、主人公はそのための分かりやすい実例として登場しているのです。


本書の主人公は中堅広告代理店の営業マンで、中村修平といいます。32歳の彼には職場結婚したひとつ年下の妻と、4歳の子どもがいて、毎日遅くまで仕事していても家庭円満です。


ある日、息子から「パパァ、会社っておもしろいの?」と訊かれたことから修平の悩みがはじまりました。特別おもしろい、わくわくする、というわけでもないのに、どうして自分はサラリーマンを続けているんだろう。


自分の疑問を妻や会社の先輩にぶつけるうちに、修平は今まであまり気にしなかったことを、少しずつ学んでいきます。社員と経営者の違い、皆と同じことをしていることの安心とリスク、自分の頭で考えるということ、成果主義と自己責任、平等と公平と公正。
それまでは、めんどくさいと敬遠していたちょっと難しそうなことがらも、自分の感じた疑問に答えを出そうとしているうちに、知らず知らずのうちに理解が深まり、自分の考えがしっかりしてきます。


修平の部下がちょっとしたクーデターを企て、修平が出張している間に勝手にお客と交渉した結果、修平は困った事態に巻き込まれます。
いくつかの事件を乗り越え、やがて自分の人生を生きる決意をした修平の身に起こったできごととは……。


ストーリー自体は、そんなにドラマチックなものではありません。バラしてしまいますが、トレンディードラマのような恋愛沙汰も出てきません。
その代わり、修平と同じスピードで、読者もいっしょにサラリーマン人生について、社会について、生きがいについて考えるよう仕向けられます。


平凡な主人公のことは忘れても、この本を読んだことで、なんだか少し人生が変わったという記憶だけが残りそうな、そんな本でした。