人間の安全保障


著者:アマルティア・セン【著】  東郷えりか【訳】
出版社:集英社新書  2006年1月刊  \714(税込)  205P


人間の安全保障 (集英社新書)


今回は、ちょっと硬い本を取りあげました。


2001年6月に「人間の安全保障委員会」という組織が設立されました。
世界中の著名な有識者のまとめ役となったのが、緒方貞子さんと本書の著者、アマルティア・セン博士です。
本書は、「人間の安全保障」についての種々の論考をまとめた一書で、種々の人道主義的国際活動との関連や、人間的発展、人権について考察しています。


「人間の安全保障」とは、人間の「生存」と「生活」を守り、維持するものです。また、私たちの人生に危害や侮辱、軽蔑を与えうるさまざまな苦難を回避することでもあります。
経済的な格差の拡大が叫ばれている日本ですが、多くの人が生存の権利をおびやかされるような状況に陥っている国に比べれば、人間の安全保障が実現されているとみることができます。


平和で安全な環境に感謝しながら、他の国にも伝播させていく方法をまじめに考察してみましょう。


本書に登場する「民主主義」「人権」「人間的発展」を広げていくにあたり、著者はこれらの概念が、決して西洋生まれの考え方ではないことを強調しています。
たとえば、世界ではじめての印刷物は中国で作られたこと。そしてその内容は、インドから伝えられた仏典であり、中国語に翻訳したのは、インド人とトルコ人の混血の学者であった(クマーラジーバ、中国名 鳩摩羅什)こと。中国、トルコ、インドがかかわったこの一連の出来事に、西洋の影もかたちも見えないこと。を、実例としてあげています。
同じように、「民主主義」の根幹である「異なった見解にたいして寛容であること」と「公の場における議論の推奨」も、西洋以外の地域で古くから行われてきた実績がありました。


著者が示したのは、インドで釈迦が亡くなったあとに開催された仏典結集と、聖徳太子が制定した「十七条憲法」です。
受験で教わった十七条憲法
  「一に曰く、和を以て貴しと為し……」
  「二に曰く、篤く三宝を敬え」
くらいでしたが、著者が引用したのは、第17条の
  「それ事は独り断《さだ》むべからず。かならず衆とともに
   論《あげつら》うべし」
でした。
そうかあ。聖徳太子は、議論の推奨も宣言していたんですね。


著者がたくさんの例を挙げたように、「グローバル化」は、決して帝国主義の特徴ではありません。
ですから、イスラムでもアジアでも、「議論による政治」をもっともっと取り入れていかなければならない、と著者は主張していました。



著者は1933年、インド・ベンガル地方生まれ。アジアで初めてノーベル経済学賞を受賞し、現在はハーバード大学で教鞭をとっています。
そのせいか、本書にはムガール帝国の歴史的エピソードが紹介されていたり、インドの核武装についての考察が述べられており、インドに関する記述が多くなっています。


落ち着いた語り口なので、刺激が足りなく感じるかもしれません。
しかし、いたずらにヒートアップする国際情勢を沈静化させるには、著者のように人間的見地から静かに発言することが必要なのでしょう。
平和な世界を実現しようと活躍している人々がいる、ということを認識させてくれる一書でした。