小沢昭一的新宿末廣亭十夜


著者:小沢 昭一  出版社:講談社  2006年7月刊  \1,260(税込)  182P


小沢昭一的新宿末廣亭十夜


TBSラジオに「小沢昭一の小沢昭一的こころ」という長寿番組があります。
フリー百科事典ウィキペディアでは、「1973年1月8日に放送開始」となっていました。
私は小学校の頃(1960年代後半)に聞いたような記憶があるので、もっと長いことやっているような気もするのですが、いずれにしても、もう30年以上も続いています。


小沢昭一的」という芸風を確立した著者に、ある日、
   寄席へ出てみませんか。
   それも、ちょこっとゲスト出演なんていうのではなく、10日間
   みっちり出演してみませんか。
というお誘いがありました。

しかも、出演打診があった寄席は新宿の末広亭
著者は、子どものころに末広会という後援会に入っており、楽屋へもぐりこんだり、表で客寄せしたりと、いろいろ手伝った思い出がありました。
せっかくのお誘いですから、……と出演した昨年6月の高座の様子を実況中継したのが本書です。


いやぁ、もう、小沢昭一ファンには、たまらない一冊です。


内表紙に載っているネタ帳(正しくは楽屋根多帳)によるとトリの二つ前に登場していますよ。
下座の三味線は、ラジオの「小沢昭一的こころ」のテーマ曲。今は亡き山本直純さんが作曲したものです。
客席から「待ってました!」の声があがると、
  「待っててくださったほどのお話もできないんですけど。(爆笑)」
と、小沢昭一節がはじまりましたよ。


小沢さんの話は、単に笑わせるだけではありません。おもわず、ホロッとしてしまうところが持ち味のひとつですよ。
私も、本書を読んで心の中で3度泣きました。
本当は10日間で10回泣かせどころがあったのかもしれませんが、あとは私の感受性が乏しかったということでしょう。


内容のバクロは御法度なんですが、ひとつだけ紹介させてください。




志ん生師匠の思い出を語る第2夜でのお話です。
志ん生には、長屋で貧乏暮らしをした時代があり、本人だけでなく、家族にもつらい思いをさせたものです。
ご子息の金原亭馬生師匠が、そば屋のパンフレットに載せた一文には、次のような逸話が書かれています。


もらいもののユタンポを修理して使っていて、ある日、馬生さんのお母さんが「おそばやさんに行ってお湯を貰っておいで」と言いました。
ふだん食べに行ったことのないそばやさんです。木枯らしの中にたたずんでいて、やっと店に入れてもらえることになりました。
店のすみで待っているうち、お腹をすかせた馬生さんは、うまそうに天ぷらそばを食べている客をジーッと見つめてしまいます。


その客は、
  「オイこのガキに早く湯をやれ、そばがまずくなっちまうよ」
と、怒鳴りました。


顔から火の出る思いで店を出た馬生さんは、泣きながら心に決めます。
  「今に大人になったらそばを山ほど食べるんだ」


……貧乏ばなしというのは、思わずホロッときます。自分の子どもの頃と重なってしまうんでしょうね。


そのあとの「私はそばが好きだ」という一節を小沢昭一は見逃しません。
これは、そば屋さんのパンフレットに書いたからヨイショしてるに違いない。だって、馬生さんは、「わたしは酒だけがすきだ」とならなければ、いけない方だったんですからね。


涙があふれる前に、笑い話に変えてしまう。
見事な小沢節です。


本書の文字を追っているだけで、小沢さんの声が聞こえてきます。
いやぁ、いい本を読みました。誰かと、この満足感を分かち合いたい気持ちになりましたよ。
きっと落語ファンなら、この良さが分かってもらえるでしょう。
落研出身のあの先輩にプレゼントしてみようかな。


ここで、文体を変えます。


この本は、作り方にもなかなか凝っておりますですよ。
どのページでもいいから、ちょっと開いておくんなまし。


まず、活字。……当世、印刷に活字なんて使っておりませんですね。正しくは字体、フォントと申し上げるんでございましょうか。
その字体が普通の本と違う。
書道にたとえますと、ふつうの本の字体を行書とすれば、この本の字体はもっとやわらかい草書のおもむきを醸し出しております。「と」の縦棒などはグサッとつきぬけておりまして、老眼ぎみのわたくしが油断していると、「も」に見えないこともありません。
あたしゃあ出版のプロじゃございませんので、何という字体か申し上げられないのが残念でございます。


また、欄外に章の見出しを書いてある部分。――業界用語で「柱」なんていうらしいんですが、この書き方が、また普通と違っている。
きょうび、この「柱」は99%横書きで書かれておりますな。それが、この本は縦書きです。もう、徹底的に舶来ものの雰囲気を排除しておるんでございます。


きわめつけは、業界用語でいうところのノンブル。いわゆるページ番号の(おっと、「頁」と書くべきでございますね)つけかたが、また普通と違う。
お察しの通り、漢数字で書かれているんでございますよ。


なんとも、小沢昭一さんの語り口、寄席のふんいきを伝えようという、心憎い配慮じゃございませんか。


さて、本書の内容から、ちと離れるんでございますが、あたしゃ、ちとジャスト・システムさんに文句がある。


パソコンに向かって文章を打ち込むことの多いわたくしは、漢字変換するたびにイライラするのがイヤで、ことし3月にATOK2006を使いはじめたのでございます。
わたくしの3月29日のブログに詳しく書かせていただきましたが、そりゃあ、もう、快適でした。
マイクロソフトさんには日本人のココロはわからない。やっぱり日本のココロをしっているのはジャスト・システムさんだ。これなら、大枚9,680円(キャンペーン価格)をはたいた甲斐があるってもんだ。……と、喜んでいたんですよ。


ところが、今回、図書館に返す前にこの本の内容を書き写していて、ちとガッカリ。
「しんしょう」と打っても落語家の「志ん生」の名前がでない。名前変換専用の「F2」を押してもだめ。どうも標準辞書に登録されていないようなんです。
そりゃあ、「志ん生」なんて書く人は滅多におりません。
でも、「中大兄皇子」や「源頼朝」なんか、一発で変換できるんですよ。スポーツ・芸能の世界でも、「大鵬」「双葉山」「林家三平」「正蔵」なんてみんな登録してある。
なのに「志ん生」が登録してない、というのは、いかがなもんでしょうかね。
えー、そこんとこ、どうなんでしょう。えー、ジャスト・システムさん。


おたくの大ファンだからこそ、ひとこと言わせてもらいました。
もっともっと、いい日本語ソフトに仕上げてくださるよう、お願いしますよ。期待してますからね、ジャスト・システムさん。


……いかがでしょう。小沢昭一さんの口調をマネして書いてみました。


  似(煮)てないところは焼いてあるとおぼしめして、(笑)お許しを
  いただきたいなと思うんでございますが。
     ↑
これは、本書四七頁のパクリでございました。


というわけで、また来週のココロだー!