著者:永江 朗 出版社:筑摩書房 1997年5月刊 \1,680(税込) 229P
ここのところ、読書に疲れぎみです。
朝はともかく、帰りの通勤電車で本を開くのがおっくうになってしまい、耳から勝手に入ってくるポッドキャスティングを聞くことが多くなりました。そのポッドキャスティングも、自分はビジネスマンだ! と気合いを入れてくれる「聴く日経」ならまだしも、ミーハーの局地「真鍋かをりの東京ローカル」をボーっと聞いているしまつ。(中年男が若者番組聞いてどうする! と自己ツッコミ)
こんな時にかぎって、図書館の順番待ちの巡り合わせが悪く、先週も4冊しか予約本が手に入りませんでした。
これじゃ、ワクワクする本に巡りあえないよー。
前置きが長くなりました。
精神的な夏バテに陥っていた私に、「そんなことでどうする!」とカツを入れてくれたのが、本書の次のひとことでした。
「今日は欲しい本がなかった」と書店を出るとき、本当に欲しい本が
一冊もなかったとしたら、不良になろうとする者にとってかなりヤバ
い事態だ。
好奇心がすっかり萎えてしまっているということなのだから。
そうかー。好奇心が萎えるというのは、かなりヤバイ事態なんだな。
よーし。私も著者のように不良になろうじゃないか。
著者が「不良」といっているのは、読みはじめた本に最後まで付きあったりしない、という読者のことです。
実は、著者自身、最近まで読書をつらいと感じていました。というのも、本というものは「いちど読みはじめたら、必ず最後まで読み通さなければならないもの」と考えていたからです。
そんな著者を救ってくれたのは、フランスの映画監督のゴダールでした。
ゴダールは一本の映画を20分ぐらいしか見なかったそうです。おもしろくても、おもしろくなくても、20分見ると、次の映画館に行く。映画館を「はしご」することによって、たくさんの映画を見ていた、という逸話を耳にして著者は開眼しました。
そうだ、ゴダールでいこう! と。
「不良」になった著者は、「本を最後まで読むのはアホである」とまで言ってます。
永江さん、ちょっと言い過ぎじゃないの。なんて遠慮していては、正しい不良になれません。
死ぬまでに本を読める時間が限られているということは、「一冊の本を選ぶことは、同時に他の本を読む可能性を捨てること」 ですから。(この重要な個所は、本書の中でも太字になってましたよ)
永江さん、ありがとうございました。おかげで、夏バテが吹き飛びそうです。
ところで、永江さん。コラム10「本を読むのにいちばんいい場所」の中で、いちばんのお勧めは電車の中だ (ここも太字で印刷されてます)とおっしゃってますね。
ところが、本書のあとに出版した『恥ずかしい読書』の中では、「電車のなかで本を読むのはやめる」なんて宣言してますよ。本書出版から7年の間に、宗旨がえしちゃったんですか。
まさか「不良」をやめたりしてませんよね。
私は、「電車の中でゴダールする不良読者」をはじめたばかりですので、見捨てないでくださいよ。