驕れる白人と闘うための日本近代史


2005年8月刊  著者:松原 久子【ドイツ語原著】・田中 敏【訳】
出版社:文芸春秋  \1,600(税込)  237P


驕れる白人と闘うための日本近代史


過激な題名です。
一見すると、南京大虐殺は存在しなかったとか、日本人に自虐史観を教えるな、などと声高に叫んでいる人が書いた本だと思うかもしれません。
実際に読んでみると、予想に反し、著者は近代の日本人を美化するような史観を持ち合わせていないことが分ります。むしろ、日本軍の行為は、中国で略奪暴行を働いたイギリス軍、フランス軍をはるかに凌ぐものだった、と認めています。
ただし、軍事力に勝る国が弱い国を植民地にするという方法は当時の国際習慣であり、欧米人が略奪暴行を働いてもお互いに認め合うのに、日本の行為だけをことさらに強調するのはダブルスタンダードだ、と主張しています。


著者は、海外生活の中で日本に対する誤解と偏見を目の当たりにし、積極的に反論してきました。しかし、多勢に無勢。後を付いてくる日本人もなく、ドイツの視聴者に街頭でビンタされるという体験もしました。
本書は、そのドイツ人に対して「根拠のない優越意識を持つな」と主張するドイツ語の出版物でした。同じ内容が、日本人に対しては「根拠のない劣等感を打ち破れ」というメッセージになっています。


江戸時代の暗黒時代が終わり、明治維新による欧化政策で日本は脅威的な発展を遂げた、……と一般的には理解されています。ところが、著者は、江戸時代の日本というのは決して捨てたものではなく、たくさんの優れた点を持っていた、と分析しました。
何より識字率が高く、富は国民に広く分配され、極端な貧富の差はなかった。支配階級であるサムライは、西洋諸国に比べるとずっと質素だった。3000万人の消費者を持つ大市場が形成されていて、整備された水路・陸路などの交通網や銀行制度も十全に機能していた。
それは、明治時代の発展の十分な下準備と評価できると同時に、限られた土地と資源の中での共生モデルとして21世紀の世界を構築するモデルになるかもしれません。


かたや、ヨーロッパ大陸は自然に呪われた貧しい土地であり、オリエントから胡椒や絹等の富を輸入するための対価として、「スラブ人」と同じ語源の「奴隷(スレイブ)」を輸出するしかない、という暗い歴史を持っているとのこと。
この貧しさが大航海時代を生み出した原動力であり、だからこそ母国から何千マイルも離れた大文明圏インドを征服するまで、たとえ300年という年月をかけても徹底するという執念を持つに至ったのです。


うーん。そうだったのかー。


このタイトルのおかげで、本書を敬遠してしまう人も多いかもしれませんが、私はこの本を手に取って良かったと思いました。今まで知らなかった西洋史の一面を知りましたし、こういう歴史の見方もあるんだ、という発見がありました。


ちょっと心の用意をして読んでみてはいかがでしょうか。


ところで、アメリカ産牛肉の輸入を再開したと思ったら、特定危険部位の混入が発見され、また輸入停止になりました。
ニュースを見ていてびっくりしたのは、米国関係者が、
  「これは食品の安全の問題ではない。輸出手続の問題だ。輸入停止すべ
   きではない」
とコメントしていることです。
アメリカ国内では流通しているのだから、気にする方が間違っている、といわんばかりの発言を聞いて、フツフツと怒りが込み上げてきました。
やっぱり、ヤツらは、日本人を対等な人間とは思っていない!
もう二度と、アメリカ産牛肉なんて食べるもんか!


反米感情が湧き上がるのを感じました。


ついでに思い出したことがあります。


大学2年のことでした。
9月の前期試験の真っ最中に「父危篤」の連絡を受け、大急ぎで郷里に帰ったことがあります。幸い一週間ほどで父は危機を脱し、私は学生生活を続けられることになりましたが、欠席した試験科目の追試を受けなければなりません。
ほとんどの教官が大学内の会場で追試を実施してくれましたが、一人だけ、「私の自宅で追試をします」という先生がいました。その先生は、「英語演習」を担当する50代の女性教官で、授業中の発言や発表を重視する先生です。追試験も面接方式で行う、ということなので、地図を片手に指定日に教官の自宅にうかがいました。
ひととおり口頭試問が終了したあとクッキーとお茶が出され、先生が別の話をはじめました。何でも、先生はアメリカの何とかいうキリスト教団の宣教師で、先生の自宅と思った家も、実は教会として使用している借家とのこと。
先生は、日本語と英語を交えてキリスト教の話をはじめ、延々と続きました。相手が教官でなければ、追試でなければ、とっくに席を立っていたでしょう。しかし弱い立場の私は、話を遮ることができませんでした。
せめてもの反撃に、「私は仏教を信じています」と言ったところ、
  「ああ、仏教は偶像崇拝です。正しい教えではありません」
と、バッサリ。全く聞く耳を持っていません。
ユダヤ教イスラム教から見るとキリスト教の方が偶像崇拝である、という事実を知ったのは、ずっと後のこと。頭ごなしの言葉を受け、あとはひたすら解放される瞬間まで忍耐するしかありませんでした。


今思えば、自分たちの価値観を当然のように押し付けてくる欧米人の洗礼を受けたのがこの時でした。


本書を読んでいれば、主張すべきは主張できたかもしれませんね。