著者:保坂 俊司 出版社:光文社新書 2006年11月刊 \735(税込) 211P
アメリカの住宅バブルが弾け、昨年のリーマンショックの影響が世界を駆けめぐっています。
人類は何度もバブル経済を経験しているのに、どうして繰り返してしまうのでしょう。
人間社会は良くなっているのですか、逆にどんどん悪くなっているのですか?
経済は誰もコントロールできないものなのですか。
それとも、何か良い解決方法はあるのでしょうか。
簡単には答えが出そうもない問題ですが、大きな“問い”を持って思索しながら本を読むのも読書の楽しみのひとつです。
――前回と同じ“問い”でスタートしましたが、今日とりあげるのは別な本ですので、読みとばさないでくださいね〜(笑)。
今日の一冊は、経済の問題をキリスト教、イスラム教、仏教の立場から読み解いた『宗教の経済思想』。比較宗教学を専攻する著者の保坂氏が、世界の3大宗教の教える経済思想を解説してくれる興味深い一書です。
「宗教の経済思想」という、今まで読んだことのない切り口ですので、はじめて聞くこと、新たに手に入れた知識はたくさんありますが、一番の収穫は、次の一節でした。
名著『資本主義の世界史』(藤原書店)の著者ミッシェル・ボーによれば、
近代資本主義の胎動はルネッサンスとほぼ同時に始まった西欧のいわば経済
革命にあり、その発端は、新大陸の発見とそこから流入した莫大な資産に始
まるようである。
そして、その象徴的出来事が大量の金銀のヨーロッパへの流入である。
近代資本主義の原則である「資本を投下してリターンを得る」という行為がはじまるためには、ふだんの生活資金が充分足りていて、あり余る余剰資金がなければなりません。その余剰資金のはじまりは、新大陸からの金銀の流入だというのです。
しかも、この金銀は、平和的手段で手に入れたものではありません。メキシコやペルーの原住民が9割も人口を減らすという略奪によってヨーロッパに持ち帰ったものなのです。
新大陸の略奪の主役であったスペインには、「略奪も正統な蓄財行為」という伝統がありました。その淵源をたどると、イベリア半島を征服していたイスラームの文化に遡ります。
自分で農地を耕して収穫を得るという発想よりも、交易によって利益を得るという商人的発想、相手が弱ければ攻撃して奪ってしまうという軍人的発想がイスラームの文化であり文明だった、と保坂氏は分析します。
手段を選ばず「財」を増やすことを目指す資本主義がヨーロッパに広まり、やがて産業革命で得た力を存分に発揮して世界各地を植民地化し、合理的に富を収奪していきました。
最近「強欲資本主義」という言葉が生まれ、資本主義には「良い資本主義」と「悪い資本主義=無制限の欲望資本主義」があるような印象を与えましたが、歴史的な経緯を見ると、資本主義は欲望を解き放つところからスタートしたのです。
最初から「強欲資本主義」なのが当たり前で、ほっといて「良い資本主義」ができる訳はありません。
聞けばきくほど身も蓋もない分析ですが、言われてみれば思い当たることばかり。納得するほかはありません。
それでも本書を読んで希望が持てたのは、ヨーロッパ以外の考え方に資本主義を矯正するヒントがありそうなことです。
ひとつは、インド出身でアジア人初のノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・セン博士の経済思想です。
セン博士は、「経済合理性を自己利益の最大化と同一視する考え、いわゆる目的合理主義のアプローチは、必ずしも合理的な方法とはならないと批判」します。アダム・スミスの言葉を「神の見えざる手にまかせておけば良い」と理解している楽観主義者を痛烈に批判しているのです。
もう一つは、仏教の経済思想です。
仏教の教えは、勤勉で正直で、富を社会に生かす知恵を持った人間を褒め称えていると保坂氏は分析し、「菩薩道の経済思想」と命名していました。
現在の資本主義をお先真っ暗にしないために。
本書を読んで、この問題を考えてみませんか。