著者:浅田 次郎 出版社:集英社文庫 2001年6月刊 \579(税込) 315P
ここは、とある温泉郷。
新幹線駅からも高速道路からも遠く、ひなびてしまった温泉街に、一軒のホテルがありました。
このホテルが少し変わっているのは、経営者がその筋のかたで、お泊まりに来られる方々も極道業界の方が多い、ということです。
本書の冒頭にのっている館内地図には、次のような御注意が書かれています。
一、情報収集には万全の配慮をしておりますが、不慮のガサイレ、
突然のカチコミの際には、冷静に当館係員の指示に従って下さい。
一、客室のドアは鉄板、窓には防弾ガラスを使用しておりますので、
安心してお休み下さい。
一、貴重品はフロントにて、全責任をもってお預かりします。
一、破門・絶縁者、代紋ちがい、その他の不審な人物を見かけた場合は、
早まらずにフロントまでご連絡下さい。
一、館内ロビー・廊下での仁義の交換はご遠慮下さい。
支配人
――なんだか、マンガみたいなこの設定。
こんなギャグみたいなホテルで、どんな物語が進行すると思いますか?
そうです。
もう「ユーモア小説」を超えた「お笑い小説」の始まりはじまりです。
小説の語りべは、このホテルのオーナーの甥で、極道小説で人気上昇中の作家です。
ずっと縁を切っていた叔父から一度遊びに来るように誘われ、作家はひなびた温泉に行ってみることにしました。
ホテルには、“その筋”の宿泊客の他に、「奥湯元あじさいホテル」という名前にひかれた老夫婦(一般客)もやってきます。
定年退職を迎えたばかりの亭主は何も知りませんが、積年の不満がつのった夫人は熟年離婚を決意しており、バッグの底では離婚届が出番を待っています。
従業員もワケアリの人が多く、中には、大手ホテルチェーンから左遷されてきた者どうしが再会を果たす、という小さなドラマもありました。
一家心中しそうな家族がやってきて、
前のオーナーの地縛霊が姿をあらわし、
ワケアリな渡世人と作家の秘書が再会の涙を流し、
嵐の夜のホテルは、グチャグチャ、ドタバタな展開に……。
浅田次郎は、『鉄道員(ぽっぽや)』や『壬生義士伝』のように、人情味あふれる小説を書く人ですから、まさかとは思ったのですが……。
いやぁ、笑えること笑えること。
私が読んだ文庫本は、『プリズンホテル1(夏)』のあと2,3,4と
シリーズがつづきます。元になった単行本では、本書のタイトルは、単に『プリズンホテル』です。
第1作の本書で、浅田次郎は「極道お笑い小説」という新しい鉱脈を見つけたのでしょう。
これは、もう、2,3,4と読むしかありません!
本書があんまりおもしろかったので、小ギャグをひとつおすそわけ。
主人公の小説家が、ある出版社の応接室で原稿のゲラ校正(最終仕上げ)に追われていたときのこと。
となりの小部屋で編集者と雑談していたあるハードボイルド作家が、会話の中で、ふと、主人公(極道小説家)の悪ぐちを言いました。
小説に感情移入していた主人公は、ヤクザ小説そのままに、となりの部屋に殴り込みをかけます。
「なんやて! ワレもういっぺんいうてみい」
と、つい校正中のセリフをそのまま叫びながら、ぼくは
灰皿を振り上げた。案の定、いっけんハードボイルドの実
は土佐日記は、ワーワーキャーキャーと逃げまどった。ぼ
くがたまたま殴り込みの場面を校正中であったのも、彼に
とっては不幸だった。
ヤクザ作家がハードボイルド作家を壁ぎわに追いつめて
とどめを刺そうとしたとき、そのまた隣室で執筆中であっ
た時代劇作家が異変に気づき、「出合え、出合え!」と人
を呼んだ。
うちのカミさんも、お腹をかかえて笑ってましたよ。