著者:浅田 次郎 出版社:講談社 2010年9月刊 \1,575(税込) 303P
9月からNHK総合テレビで連続ドラマ『蒼穹の昴』がはじまった。
西太后を主人公にして全25回放送されるこのドラマは、浅田次郎の同名小説が原作になっている。
その『蒼穹の昴』シリーズの最新作が本書『マンチュリアン・リポート』だ。
浅田次郎は僕の好きな作家のひとりで、つい2週間前にも『終わらざる夏』を取りあげた。(10月3日の読書ノート参照)
『蒼穹の昴』シリーズも大好きで、この読書ノートでも、次のようにほとんどの巻を紹介している。
- 蒼穹の昴〈1〉(読書ノートはこちら)
- 蒼穹の昴〈2〉(読書ノートはこちら)
- 蒼穹の昴〈3〉(読書ノートはこちら)
- 蒼穹の昴〈4〉(読書ノートはこちら)
- 珍妃の井戸 (読書ノートはこちら)
- 中原の虹〈1〉(読書ノートはこちら)
- 中原の虹〈2〉(読書ノートはこちら)
- 中原の虹〈3〉(読書ノートはこちら)
この清朝末期にはじまる大河小説は、『蒼穹の昴』が西太后、『中原の虹』が張作霖を中心に物語が展開する。
王朝の栄枯盛衰の姿を描きながら、同時に地べたを這うように生きてきた民衆の強さと悲しみを唄いあげる、浅田次郎の浪花節が全開の物語である。
各巻とも読みごたえがあり、感嘆しながら読書ノートを綴ってきたが、実は、1冊だけ、2007年11月に出た『中原の虹〈4〉』を読了しても、読書ノートを書く気になれなかった。
『中原の虹』シリーズ4巻が終わったというのに、張作霖はまだ死を迎えておらず、中途半端で終わってしまったという印象がぬぐえなかったからだ。
張作霖が関東軍に爆殺されたのは歴史的事実だ。歴史小説なのだから、まさか張作霖が生きながらえて中国の新王朝を作るというストーリーはあり得ないはず。『中原の虹』主人公である張作霖の死の場面は、物語に欠かせない。
ならば、なぜ浅田次郎は書かなかったのだろうか。
2年以上不審に思っていた謎が、本書の出版で解明された。
浅田次郎は、『中原の虹』とは別の小説(しかも14年ぶりの書き下ろし)で張作霖の死を描くことにしていたのだ。
本書『マンチュリアン・リポート』は、直訳すれば「満州報告書」となる。満州某重大事件、すなわち張作霖が爆殺された事件の事実関係を調査した報告書、それが本書である。
物語は、張作霖が死んだところからはじまる。
張作霖はどのように殺されたのか。なぜ、誰が殺したのか。真実を調査する密命を帯びた志津中尉が、日本から北京に派遣される。
最初に案内してくれたのは、張作霖の軍事顧問をしていた吉永中佐だ。
張作霖と同じ列車に乗っていて左足を吹き飛ばされた、とのことで、関係者を紹介してくれはするものの、精神的ショックのため自ら証言してくれることはない。
『蒼穹の昴』、『中原の虹』に登場していた重要人物が次々に登場し、すこしずつ真実を明らかにしていく。
中でも、貧しさ故に宦官になり西太后に使えた春児(チュンル)、貧しさのあまり家族を捨て、張作霖の腹心となった春雷(チュンレイ)は、謎解きの核心部分に登場し、『蒼穹の昴』、『中原の虹』の大団円を予想させる。
張作霖の死について、日本軍(関東軍)の謀略が明らかになっていくとともに、張作霖に中国の覇者となる天命があったのかどうかも問われていく。
神農・黄帝の昔から王者の証として伝えられてきた「竜玉」を張作霖が手にしたことは『中原の虹』に登場していたが、真の王者しか持つことを許されない玉を持つことを、張作霖はどう思っていたのか。
爆殺される運命に向かう列車のなかで、張作霖は、擬人化された機関車「公爵(デューク)」に向かって次のように話しかける。
天は俺様を赦すか。
それとも、天命に抗ったこの身のほど知らずの体を、粉々に砕くか。
それならそれで、かまやしねえよ。ちっぽけな人間が、運命と戦って敗れたんだ。これほど上等な敗けっぷりも、そうはあるめえ。
俺様は、二十歳のときに聞いた旅の易者の声を今も覚えている。
張作霖(チャンヅオリン)。
汝、貧しき流民の子よ。
父もなく母もなく、銭も馬も家も、恃みとする人のひとりとてない、天の涯つるところ地の滅ぶかぎりまで何物も何ぴともなき、汝、張作霖よ。
易者はそう呼びかけてくれた。ほかの文句は忘れた。ご託宣などどうでもよかったんだ。
天下一の貧乏人が、天下をめざしてどこが悪い。
ちがうか、公爵。
張作霖の本当の最期の姿を知った志津中尉が、最期のリポートに書いた内容とは……。
『蒼穹の昴』、『中原の虹』のあらゆる伏線が、ここに完結する。浅田次郎の浪花節を、ぜひ堪能いただきたい。
NHKの連ドラは既に3回の放送が終わっているが、10月25日午後4:05から3日連続で再放送を行うそうだ。(第4回目の放送は本日23時から)
このドラマで興味を持ったのか、先日、電車の向かい側に座った女性が、文庫本の『蒼穹の昴〈1〉』を熱心に読んでいるのを見かけた。
この壮大なドラマの世界に足を踏み入れるにはちょうど良いタイミングかもしれない。
本書に到る伏線を楽しみながら、まず『蒼穹の昴〈1〉』を手にとることをお勧めする。