珍妃の井戸


著者:浅田次郎  出版社:講談社  1997年12月刊  \1,680(税込)  318P


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中国清朝末期を描いた『蒼穹の昴』と『中原の虹』に関連し、2つの小説の中間の時代――義和団の乱の混乱期――に発生した珍妃殺害事件の真相を追求する小説です。


本書は義和団の乱から3年後の1902年の北京が舞台になっています。清朝の衰亡史に即した『蒼穹の昴』の正統な続編が『中原の虹』とすれば、辛亥革命が起こる直前のエアポケットのような時期を描いた『珍妃の井戸』は、外伝のような位置づけになるでしょうか。


物語は、西洋かぶれで有名な載沢殿下の舞踏会で幕を開けます。義和団の乱に乗じた8ヶ国連合軍がどれほどひどい掠奪行為を働いたか、その実態を調査する役目を負い、英国からソールスベリー提督が北京に乗り込んできました。
ソールスベリー提督は、載沢殿下の舞踏会で謎の中国女性と出会います。メヌエットを踊りながら女性が教えてくれたのは、光緒帝の妃である珍妃が殺害されたという驚くべき内容でした。
権威が失われつつあるとはいえ、皇帝の妃(正妻である皇后から数えて3番目の夫人である珍妃)が殺害されたことが真実とすれば大事件です。ソールスベリー提督が、親交のある北京駐在のドイツ人将校に相談をもちかけたところ、彼は「噂は知っている」と答えました。
皇族が殺されるような事態を放置しておけば、やがて革命勢力が勢いを増し、ヨーロッパでも国王が殺害される時代が来るかもしれない。
これは立憲君主制の危機だ!
そう主張するドイツ貴族でもある友人は、急きょ、ロシア貴族と日本の貴族(子爵)を招き、珍妃殺害事件の真相解明のための会議を開会しました。


立憲君主制を守るために!
共通の利害で一致した4ヶ国の貴族たちは、政治的利害なく真相を語ってくれる証言者を求め、四半世紀も北京に駐在しているアメリカの新聞記者を訪ねました。


アメリカ人記者は、珍妃が井戸に落とされて死んだのは事実である、と断定し、より詳しい証言者として光緒帝の元御前太監(側近の宦官)を挙げました。今は落魄している宦官の居場所を教えてもらい、4人は、真相を聞き出すべく貧民窟へ向かいます。
こうして、真相を知る証人を求めて、4人は袁世凱やら珍妃の姉やら、次から次と証言を聞いてまわりますが、同じ証言は全くなく、犯人像も混沌としたままです。


とうとう最後に、決定的な証言者から話を聞くことになりました。
その証言者とは誰なのか。そして、最後の証言者が明かす真実とは……。



物語の背景には、清朝末期の混乱した世相が横たわっていますが、本書は犯人捜しの独立したミステリーとして読むことができます。
次から次へと証人が出てきて、独白文で証言する。しかし真実は分からない。
……どこかで聞いたことのある構成です。


私が思い当たるのは、黒澤明監督の映画『羅生門』と、その原作である芥川龍之介の『藪の中』です。証人の数が7人というのが、本書と同じ数ですので、間違いないでしょう。

同じモチーフで全く違う作品を作る、というのは音楽の世界でもよく見られることで(「ハイドンの主題による変奏曲」とか、「パガニーニの主題による変奏曲」が有名です)、決して盗作ではありません。
小説や映画の世界でも、「7人の○○」や「12人の○○」という作品をよく見かけます。


本書を一言で解説すれば、次のようになるでしょう。


   芥川龍之介『藪の中』の秀逸な本歌取り


蒼穹の昴』を読了した方にお勧めです。