秋瑾 火焔の女(ひと)


著者:山崎 厚子  出版社:河出書房新社  2007年12月刊  \1,785(税込)  241P


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本読書ノートでは、清朝末期を題材にした浅田次郎の小説『蒼穹の昴』『珍妃の井戸』『中原の虹』を何度か取り上げました。
本書は、同じ時代に中国革命に散った女性闘士の生涯を描いた歴史小説です。


時は1905年(明治38年)8月13日。
清朝打倒をめざす孫文の日本訪問にあわせ、中国人留学生による孫文歓迎会が開催されます。若き日の魯迅も参加したこの歓迎会に、30歳の秋瑾(しゅうきん)も参加していました。


本書の主人公の秋瑾は、やがて革命運動に深入りするようになり、後に女性革命家として非業の死をとげるのですが、物語はいったん彼女の幼少時代にさかのぼります。


秋瑾が生まれたのは、1875年(明治8年)です。
中国の年号で光緒元年と呼ばれるこの年、西太后は幼い甥を皇帝(光緒帝)にすえ、垂簾聴政(すいれんちょうせい)を開始しました。(垂簾聴政とは、皇帝に代わって皇后・皇太后のような女性が摂政政治 を行うこと)


彼女の家は、代々、科挙を受験する名門で、秋瑾も兄たちの素読を聞いているうちに暗記してしまう利発な少女でした。


女性に学問はいらない(女子は学なきをもって徳とする)という旧弊に従わず、こっそり纏足の布をといてしまう秋瑾は、「女の子だからと禁止されることがおおすぎる」と反発します。
親の決めた縁談に、一度はたてついた秋瑾でしたが、縁談の相手が洋務派の前総督として有名な曾国藩(そうこくはん)の縁続きと聞き、18歳の花嫁となりました。


物語は、人妻となった秋瑾が女性の地位向上の思いを強くし、やがて革命運動に加わっていく姿を追っていきます。


日本への2度目の留学で秋瑾は孫文と対面し、一献かたむける機会を持ちました。
秋瑾が経済的に恵まれた上流階級の出身であることを孫文がやんわりと
指摘し、
  「あなたの言う女性の地位は、清朝の旧弊に縛られた女性のことでしょう」
と決めつけたとき、秋瑾は次のように反論しました。
  「清朝にかぎりません。中山先生(孫文のこと)もご夫人を婚家に
   残したそうですが、婚家でご両親の面倒をみているご夫人の痛み
   を感じませんか?」


肌身離さず持っている懐剣を抜いて「刀剣の詩」を奏でながら剣舞を披露する秋瑾を見て、同席していた料亭の女将は「孫さんの負けのようですね」と収めました。


中国に戻り、武力蜂起の準備をしていた秋瑾は、一斉蜂起の情報もれにより、官憲に捕縛されてしまいました。


同士の名前を明かそうとしない秋瑾は、裁判も経ずに処刑されることになります。
後に革命の英雄として顕彰される秋瑾が斬首されたのは、奇しくも光緒33年6月6日。
享年33歳でした。