著者:浅田 次郎 出版社:講談社 2007年5月刊 \1,680(税込) 376P
中国、清朝末期を描いた大河小説の続きです。
清朝を支えていた西太后が第二巻の最後で亡くなりました。物語の上でも、歴史の上でも巨星を失った清朝は、最後の迷走をはじめます。
ここから先は映画『ラストエンペラー』でご存じの方も多いことでしょう。即位した幼帝溥儀は、最後の皇帝として清朝の幕を降ろす道を歩みはじめました。
歴史の教科書で教わった記憶では、すぐに孫文が革命内閣を創設したような印象があります。しかし、ここまでゆっくりと主人公たちの運命を追ってきた小説が、急にテンポを速めるわけはありません。
溥儀を支える皇族内閣は、軍のトップである袁世凱を引退させることに成功しました。清王朝が諸外国の支援をうまく引きだしながら、さらに命脈を長らえそうな様子もみせます。
しかし、革命軍の蜂起が南方の諸州で成功し、袁将軍のいない軍隊が役にたたない状況を何とかしなければ、王朝の滅亡も目前となってしまいました。
この八方さがりの状況のなかで、命をかけて皇族に袁将軍の復帰を説いた官僚が現われました。
その名は徐世昌《シュシイチャン》。『中原の虹』の前の時代を描いた小説『蒼穹の昴』で活躍した梁文秀、王逸、順桂たちと同じ年に科挙に合格した進士です。他の3人と違って30歳をすぎてからの合格で、地味な役人生活を続けてきました。
しかし、王朝の一大事に際し、徐世昌は億万の民の中から選び抜かれたエリートの責務を自覚し、優秀な3人が成し遂げられなかったこと――歴史を1コマ進める役目――を実行したのでした。
復帰した袁世凱は、予想通り、清王朝の権威と権力を一身に集めようと、ひとつ一つ手を打っていきます。
かたや『中原の虹』の主人公張作霖は、着実に中国東北地方を手中に収め、中原の覇を得ようとして、いよいよ万里の長城を超えんとしています。
西太后という語るべきことの多い登場人物を失った第3巻は、第4巻の大団円に向かう助走のように、淡々と清朝の衰亡が描かれていました。物語としては盛り上がりに欠ける中継ぎのような巻でしたが、浅田氏が強調していたのは、国家のエリートを選抜する科挙というしくみの功罪でした。
中国では、遠く隋の時代から科挙制度が続いており、合格時の成績とその後の役人としての働きぶりによって人間の実力を判定してきました。それは、多くの国が家門と経済力に恵まれた貴族身分の人間によって運営されていることに比べると、公平な制度です。
しかし、この制度が見落としてしまう人間も多く、平和な時代には市井にひっそりと暮らすしかありませんでした。それが、この物語のような動乱の時代には、実力を発揮するチャンスに恵まれます。
袁世凱がその代表です。
少しだけ中国の文治政治との比較対象で引き合いに出されたのが、日本の軍事主導政権の伝統――尚武の気風すなわち「武士道」でした。
国家とは何か。民の平安とは何か。民を安んずる真のエリートとは何か。浅田氏の問題提起たっぷりの第3巻でした。