八人の女帝


2005年10月刊  著者:高木 きよ子  出版社:冨山房インターナショナル  \1,680(税込)  222P


八人の女帝


皇室典範の改正が国会で議論されている最中に、「紀子様ご懐妊」の大ニュースが飛び込んできました。
女系で皇室を継ぐべきか否か、という議論はこれで一時休止することになりましたが、女性天皇の歴史を学ぶのに手ごろな本を折りよく読み終わりました。(折り悪く?)


歴史上、女性天皇は8人おり、そのうち2人が一度退位した後でもう一度即位(重祚《ちょうそ》といいます)していますので、全部で10代の女性天皇が在位しました。
著者の分析によると、8人とも天皇の血筋を継続するための“中継ぎ”の役割を果たしました。中継ぎとはいえ長期間在位した実力派もいて、一人ひとりに即位の事情と在位中の事跡があります。遺された和歌を通じて女性天皇の心情に迫る、という手法のおかげで、興味深く読み通すことができました。


ひと通り読み終えて感じるのは、血族間で繰り広げられる権力争いのすさまじさと、あまりに複雑な姻戚関係の異常さです。
歴史上はじめての女性天皇は、聖徳太子の伯母にあたる第33代の推古天皇です。推古天皇は第30代敏達天皇の妃で、その1代前の欽明天皇推古天皇敏達天皇の父でした。つまり、推古天皇敏達天皇は異母兄妹で結婚していたのです。
また、2人目の女性天皇(第35代皇極天皇)の祖父と夫(第34代舒明天皇)の父は同一人物(ふたりは伯父と姪のあいだがら)ですし、3人目の女性天皇(第41代持統天皇)の祖父と夫(第40代天武天皇)の父は同一人物(第34代舒明天皇。ふたりは叔父と姪のあいだがら)です。天武天皇は、兄の天智天皇の4人の娘(そのうちの一人が持統天皇)との間にたくさんの皇子・皇女をもうけました。
系図を見ないとよく分からない複雑さです。「当時は近親結婚は自分の勢力安定のための当然の手段であった」と著者は解説していますが、どうしても現在の結婚観から見るとうそ寒さをぬぐえません。


現在の天皇家のように一夫一婦制ではないので、継承者がいなくなるという事態にはなりませんが、その代わり、皇子の母の実家の勢力争いと天皇の継承問題が直結してしまいます。最終的に即位した天皇が、兄弟・親族を“謀反の疑い”で誅殺する、という血みどろの血族争いが繰り返し行われました。
女性天皇も例外ではなく、多くの女帝が我が子を皇統に就けるため、他の皇子・皇女を排除するという行いに手を染めています。


現在の価値観で振り返ってしまうと、あまりに血なま臭く感じてしまいます。
手に取るときは、覚悟して読みはじめてください。