2004年10月刊 著者:浅田 次郎 出版社:講談社文庫 \620(税込) 388P
清朝末期時代を描いた歴史小説の最終巻。
いったんは引退を決意した西太后も、自分を殺そうとする暗殺者が自爆するのを目の前にして心が変わります。第11代光緒帝がかまわずに親政を開始しますが、あまりの急進改革ぶりに支持者が雲散霧消してしまい、孤立。改革派の中心人物だった主人公の文秀《ウェンシウ》は、死を覚悟します。
もうひとりの主人公の春児《チュンル》は西太后の側近宦官のトップとして困難な舵取りをする西太后を支えます。
清朝の断末魔のような動乱を描いた物語は、ラストエンペラー(第12代宣統帝=愛新覚羅溥儀)が登場する直前で終わっています。
私の「読書ノート」はネタばらしをしない方針なので、それぞれの主人公たちが最終巻でどのような運命を迎えたか、という核心部分は、省略させていただきます。
しかし、それでは今回は何も書くことがなくなりますので、最後の場面を暗示する印象的な箇所を紹介させていただきます。
第3巻まで伏線の多い物語でしたが、作者は第4巻に入っても伏線を登場させています。
偉大な清朝第6代皇帝乾隆帝の時代に、イエズス会から派遣された宣教師が何人もやってきました。その中に、ヴェネチアで将来を嘱望されていた芸術家がおり、乾隆帝の宮廷でも絵画や彫金やガラス作りで活躍します。
ヴェネチアに最愛の女性を残して異国の地に旅立ったというこの宮廷芸術家の手記に、次のような記述がありました。
心の底から愛したヴェロニカの、泣き叫ぶ声を聴きながら、私は夜明
けのゴンドラの中で誓ったのです。
誰でもいい。たったひとりでいい。私の芸術の力で、かの国のたった
ひとりの人間を、絶対に主の力をもってしても救うことのできない人間
を、救ってやろう、と。(中略)
たとえば百年ののち、この広大なチナ大陸のどこかで、主も神もヴァ
チカンも救えるはずのない貧しい少年が、私の芸術のもたらした福音に
よってすべての苦しみから解き放たれることを、私は信じています。
そのとき少年は、糞と泥とにまみれた小さな手を天に向かって拡げる
ことでしょう。
生命の歓喜にうちふるえる貧しい少年の瞳に映るもの――それは、す
べてのヴェネツィアンが、富も名誉も関係なく心から夢に見た青空、神
の作り給うた青空よりなお青い、蒼穹《あおぞら》にちがいありません。
本書を読み終わったとき、この手記が何を暗示しているかが初めてわかり、あまりの神々しさに、しばらく余韻に浸ってしまいました。
本書は私が昨年読んだ本のベスト5に入ります。ご一読をお薦めします。