野村ノート


2005年10月刊  著者:野村 克也  出版社:小学館  \1,575(税込)  218P


野村ノート


巨人ファンの皆さんには申し訳ありませんが、私は10年来の野村野球ファンです。
もともと、あまり野球に興味を持っていませんでしたが、先にカミさんがヤクルトファンになり、ちょくちょく横浜スタジアムのヤクルト戦に夫婦で出かけるようになりました。スタンドでビールを飲みながら応援する快感に目覚め、片道2時間かけてヤクルト本拠地の神宮球場で緑の傘を振ったり、東京ドームの3塁側外野席で「かっとばせ、かっとばせ、イーケーヤーマ!」とメガホンを叩いたりしたものです。


当時の野村監督はカッコよかった!
采配のひとつひとつがピタリとはまり、他の人間には真似のできない「何か」を持っている、という貫禄がありました。シーズンオフに野村監督の本が出版されると、必ず購入して熟読しましたが、確信ある監督の言葉は翌シーズンの活躍を確信させるものでした。


残念ながら阪神で3年連続最下位を経験し、沙知代夫人のバッシング・逮捕と相まって野村監督は過去の人になりかけました。しかし、本人はまだまだ野球人生を捨ててはいませんでした。社会人野球シダックスの監督として、またもや不死鳥のようによみがえります。2005年シーズンオフに楽天の監督としてプロ野球に復帰することが決まった直後に出版された本書は、まさに野村監督の反撃ののろしです。


本書に書かれているのは、野球の技術論が半分、野村監督の人生観、人材育成論、組織論等が半分というところでしょうか。
実際に野球をやっている人は野球の技術論も参考になると思いますが、面白いのは、やはりそれ以外の内容です。


プロ野球選手の人生は現役を終えた後のほうが長い、と野村監督はよく言いますが、本書でも、「何よりも人間的な成長が不可欠」、と強調しています。甘やかされて育った選手は後で苦労する、という実例に阪神村山実投手をあげていましたよ。
なんでも、阪神のエースだった村山氏は、自分でローテーションを決めてテレビ中継のある巨人戦に合わせてコンディションを整えていった、とのこと。当時の藤本監督には「おまえの投げたい試合を書いておけ」と甘やかされ、チームのことを考えない自己中心的行動がすっかり身についてしまいました。
その後、30代のうちにプレーイングマネージャーになりましたが、選手は、「自分は選手のときに勝手なことをしといて、監督になって何や」と反発してしまい、チームとして機能しなくなったそうです。
いやぁ、手厳しい!


かたや、自分自身の至らぬ点も明かしています。
著者が阪神の監督を辞任した2年後に、星野監督阪神を優勝させました。
当時、阪神のオーナーに言われたのは、
  「野村くんと星野くんには決定的な違いがある。野村君は詰めが甘いよ」
ということでした。
野村監督は「4番を獲ってくれ」「エースを獲ってくれ」とフロントに要求しましたが、実際に誰を獲ってほしいとか、積極的にFA交渉に乗り出したりしませんでした。監督の仕事ではない、と思ったからです。
しかし、星野監督は違いました。フロントに「伊良部」という実名をあげて選手を獲得させ、金本をみずから口説き、さらにコーチ、選手などチームの3分の1近くを入れ替えました。
著者は、確かに自分は詰めが甘かった、と率直に認めています。


監督として確信に満ちた内容が多かったのですが、自分が育てた選手に対するボヤキには、ちょっと笑ってしまいました。
何でも、ID野球を一番仕込んだはずの古田から年賀状も来ないそうです。もちろん、お中元やお歳暮も一切ないので、たまにテレビのインタビューで
「野村さんに感謝しています」と古田が答えても、
  「いかにも無理やりいわされたという感じで、
   私はいい気持ちがしなかった」
といじけてしまっています。
こういうところが「月見草」なのかもしれませんね(笑)。


終章では、最近のテレビ中継、新聞報道の問題点も指摘していました。
最近の評論には基準も根拠も見当たらない。結果について感想を言うだけ。場当たり的な解説を聞かされていては、ただうるさいだけで、当然のように視聴率は下がる、と。


ガンコおやじのような辛らつな内容ですが、ごもっともです。


いやぁ、おもしろかった!