インターネットは「僕ら」を幸せにしたか?


副題:情報化がもたらした「リスクヘッジ社会」の行方
著者:森 健  出版社:アスペクト  2005年9月刊  \1,680(税込)  340P


インターネットは「僕ら」を幸せにしたか?―情報化がもたらした「リスクヘッジ社会」の行方


私もIT業界に身を置いている一人ですので、インターネットの動向には注意を払っています。
最近、インターネットのワクワクする将来像を書いた『ウェブ進化論』(梅田望夫著)と、情報化社会の危険な未来像を問題提起する対照的な本(本書)を相次いで手に取りました。
どちらも、ぐいぐい内容に引き込まれ、人類の未来を考える機会を与えてくれる傑作です。両方とも本ブログに取り上げることにしました。


まず今回は、IT社会の明暗のうち、「暗」に注目した本書を紹介します。


インターネットの普及のおかげで便利になったことの代表選手は電子メールです。ビジネスマンにとってメールは仕事に欠かせない道具となりました。しかし、電子メールは本当にコミュニケーションを改善しているでしょうか。隣の席に座っている人と言葉も交わさずにメールを送るような人が増えた。という、対面コミュニケーション能力の低下を心配する声があります。
また、到着したメールにすぐにレスポンスしなければならない風潮は、現代人をますますせわしなくさせている、と著者は指摘しています。


一方、インターネットによって自分の好みの情報しか摂取しなくなった人々は、特定の関心を持つスモールワールド的な集団を形成します。その集団の輪の中での情報密度は増しますが、雑多で広汎な情報共有が減っていく。本来、国民/市民として知っておくべき情報共有が減少し、政治的な判断を行う際に偏った情報による判断が行われる。
それは結果的に、本来的に市民がもつべき自由の権利をも失っていく、というのは杞憂でしょうか。


もっと恐ろしいのは、個人の情報がネット上を一人歩きすることと、監視カメラの普及が結びつくことです。
2002年に公開されたスピルバーグ監督、トム・クルーズ主演の映画『マイノリティ・リポート』で描かれた未来社会は息苦しいものでした。この映画では、主人公が歩くたびに街路に置かれた生体認証装置が目の虹彩をスキャン。脇に設置されたディスプレイ広告が、「ようこそ○○さん」と、当人に向けた広告を動画表示する仕掛けになっています。


これは何も映画の中の話ではなく、最近の顔認証技術と監視カメラを組み合わせることにより、あらゆる人の行動記録をサーチできる社会が目前に迫っています。
このままテロ撲滅を旗印にした権力の暴走を許すと、監視され、環境に従順に従うという性癖が身につき、主体性ある意志決定が奪われていきます。
ひいては全体主義への盲目的な追従をも可能にし、衆愚政治や全体政治をも誘発する可能性すらある。
……という著者の主張は、深刻に考えすぎた結論なのでしょうか。


国富論』でアダム・スミスは、「神の見えざる手」に任せておけば良い、と言いました。
この資本主義の論拠を現在のネットに応用すれば、
  各自が好きに技術を利用していく中で、多様な情報技術が自然に発展し、
  それが結果的に全体への利益へと貢献するような流れになる
と読むことはできます。


著者は、決して楽観していません。次のように結論します。
導かれている「見えざる手」が、どちらに向いているのか、いまを生きる私たちが考えなければならないのだ、と。