駅伝がマラソンをダメにした


2005年12月刊  著者:生島 淳  出版社:光文社新書  \735(税込)  199P


駅伝がマラソンをダメにした (光文社新書)


えっ! 駅伝のおかげでマラソンがダメになった?
うちのカミさんはもう10年来の駅伝ファンですので、私がこんなタイトルの本を読んでいることが分ったら大変なことになります。とはいえ、変に隠すとかえって目立つしなー。考えた結果、ふつうに本棚に置いとくことにしました。
ところが、箱根駅伝も近づいた年末、「あの本、読んだよ」と言われてしまいました。「どうだった」ときくと、「おもしろかったよ!」とのこと。


そうなんです。この本は駅伝を批判する本ではなく、駅伝とマラソンを深く愛する著者の思いを熱く語った本なのでした。
何しろ、著者は、箱根駅伝がテレビ中継されるずっーと前からの駅伝ファンで、当時はNHKラジオを通じて伴奏車の監督の熱気を感じていた、とのこと。1984年に早稲田大学が優勝したときには、「感謝、とにかく感謝」と震える声で語る中村監督の優勝インタビューを録音するほどのマニアです。


そんな著者が指摘しているのは、日本テレビが中継するようになって、箱根の注目度がぐっと高くなったことです。おかげで高校の有力選手が関東の大学へ進学するようになり、関西の大学から長距離の強豪チームが消えました。同じ陸上トラック競技の中でも、学生の人気が20キロ区間偏重になったため、1万メートルの中距離選手も、42キロのマラソン選手も育たない状況が続いています。
また、箱根で目立つと入学試験受験者が増えることに大学当局が目をつけました。学校名をテレビでアピールしたいばかりに一区、二区にエースランナーを投入するように監督にやんわり圧力をかけることも十分考えられます。今年も中央学院大学が一区だけで目立っていましたが、これも学校側のPR戦略でしょうか。まぁ、監督も同じ思惑なら問題にはならないのですが……。


本書で初めて知ったのが、オリンピックのマラソン選考レースのジレンマです。
アメリカのように、選考レースを一発勝負で実施している国もありますが、ご存知の通り、日本陸連は複数回のレースを経て出場選手を選んでいます。
こういう慣習ができたのは、1988年のソウル・オリンピックの男子マラソン選考がきっかけです。前年の福岡国際の一発で決めるはずだったのが、直前に瀬古の欠場が明らかになり、急きょ、三月のびわ湖毎日マラソンを選考レースに加えました。びわ湖で優勝した瀬古が代表入りしたおかげで、当初の選考方法なら代表入りしていたはずの工藤選手(福岡国際三位)が涙を飲みました。
陸連の選考基準の急変は選手の人生を直撃します。複数の選考レースというあいまいな方式がアテネの選手選考にも様々な思惑を招き、高橋直子の悲劇を生みました。
きっと、北京、ロンドンの選考でも誰かが傷つくことになるだろう、という重苦しい著者の予言が心に残りました。