だれが中国をつくったか


副題:負け惜しみの歴史観
2005年9月刊  著者:岡田 英弘  出版社:PHP新書  \735(税込)  189P


だれが中国をつくったか 負け惜しみの歴史観 (PHP新書)


本書の主題をひとことで言ってしまうと、「中国の歴史は中華思想に貫かれているので、都合の悪いことは記録されていない」ということです。


史記』で有名な司馬遷は、天命を受けた唯一人の天子が天下を統治する、という「正統」の観念を創造しました。
「正統」を伝える、すなわち「伝統」の手続きは世襲が原則です。王朝が続いている間はこの考え方で何の問題もありませんが、時に先代の王朝を武力で倒す帝王が現れます。
こういう場合はどう説明されるかというと、王朝の「徳」(エネルギー)が衰えたので「天」がその「命」を取り去ったのだ、と解釈されます。命を革《あらた》める、すなわち「革命」が起こり、新たな王朝に「正統」が移ったのです。
この考え方は『史記』と『漢書』によって完成し、その後、1735年の『民史』まで、まったく同じ形式の「紀伝体」、同じ皇帝中心の歴史観の「正史」が書き継がれました。二千年間の王朝が書き継いだ歴史書は、「二十四史」と総称される膨大なものです。

しかし、実際は三国時代南北朝時代には王朝が並立していましたから、「正統」は一つという考え方に矛盾していました。とうとう北方の遊牧民が作った国に征服されてしまいますが、それでも新興民族を夷狄と蔑む負け惜しみぶりを発揮しました。


……という著者の主張も分からないではないのですが、日本人である著者は、どうしてこんなに中国の歴史観をこき下ろすことに情熱を燃やしているのでしょう。巻末に挙げている参考文献も自分自身の著書ばかりで、著者以外にこのような中国論を展開する人がいないので仕方がない、とのこと。
どうも、「中国なんか大したことはない」と声を大にして言いたいようなのです。


でも、どこの国の歴史も多かれ少なかれ歪んでいるのではないでしょうか。面積の広さも、人口の多さも、歴史の古さも、なにもかも大きい中国を執拗に批判するのは、「負け惜しみ」の姿そのものに映りますけどねぇ。(著者のシニカルさが伝染しちゃったかなぁ)