ローマ人の物語 15


著者:塩野 七生  出版社:新潮社  2006年12月刊  \3,150(税込)  405P


ローマ人の物語 (15) ローマ世界の終焉


ローマ帝国の勃興期から滅亡までを描く大河小説も、とうとう最終巻を迎えました。
著者の塩野氏は、この最終巻でも、一つひとつ歴史的事実を挙げながら、どのように帝国が滅亡していったかを追っていきます。


テオドシウス帝の死後、遺言によって二人の息子が西ローマと東ローマを分割統治しはじめました。それまでも分割統治の例はありましたが、この395年の分割統治以後、西と東は再び統一されることはなく、やがて完全分裂に至ります。


多神教ローマ社会の皇帝は、あくまで「市民の中の第一人者」であり、元老院という効率の悪い合議体の欠点を補うために強い権限を与えられている存在でした。
しかし、キリスト教化したローマ帝国の皇帝は、その権力を神から与えられたものであり、「王権神授」という言葉はなくても、神聖不可侵の権力を持つようになります。


東西分裂後に皇帝に即位した兄弟は、揃って後世から無能・暗愚と称されましたが、有能な臣下が帝国を支えた東ローマと対照的に、西ローマは坂道を転げ落ちていきます。


西ローマ帝国初代皇帝のホノリウスは、有能な将軍スティリコを陰謀罪で処刑。ホノリウスの死後の混乱のあと即位したヴァレンティニアヌス3世の時代、西ローマ帝国は、北アフリカブリタニアを失い、イスパニアガリアの大部分も蛮族の割拠に任せるようになります。
しかもヴァレンティニアヌス3世は、有能な将軍だったアエティウスを454年に殺害するという愚挙に出ました。元老院議員の「あなたは、左腕で右腕を斬ってしまわれた」という言葉が事の重大さを語っています。


ローマを含むイタリア半島全域は、何度も蛮族からの暴行・略奪を受け、疲弊していきました。
その後20年間で9人の皇帝が登場しては消えていった後、476年、西ローマ帝国は静かに滅亡しました。


その後、東ローマ帝国ユスティニアヌス1世の治世の一時期、西ローマ帝国の領土を回復しました。しかし、皇帝から任命された統治者としてやってきたナルセスは、情け容赦もなく厳しい税の取り立てを行い、15年間の圧政によってイタリア本土は息の根を止められました。


568年に侵攻してきたロンゴバルド族の支配を、
  イタリア半島に深く酷い傷を残すことになるのである。
と述べるにとどめ、著者はここで長い長い物語を終了しました。


この長大な物語を綴り終えた塩野氏は、次のように満足感を表現しています。
  この『ローマ人の物語』全15巻は、何よりもまず私自身が、ローマ人
  をわかりたいという想いで書いたのである。書き終えた今は心から、わ
  かった、と言える。


塩野氏は、「終わりに」の中で、読者に対して、次のように呼びかけています。
  読者もまた読み終えた後に「わかった」と思ってくれるとしたら、私に
  とってはこれ以上の喜びはない。


私自身が「わかったか」と訊かれれば、「あなたの(塩野氏の)理解したローマ人観は分かった」と答えるしかありません。


長い長い物語をふり返ると、読み物として圧倒的に面白かったのは、やはりジュリアス・シーザーを扱った第4巻と5巻でした。成長期のローマ帝国を盤石にしたシーザーの政治的先見の明はもちろん驚嘆に値しますし、惚れ込んでやまない人物を語る塩野氏の文章は冴えわたっていました。


しかし、ローマ帝国の通史である『ローマ人の物語』が5巻で終了するわけにはいきません。6巻〜10巻の帝国の安定期を経て、物語は11巻以降の衰亡期も淡々と進んでいきました。


塩野氏に先導された長い旅を終えて感じたのは、言葉にすると月並みですが、心の奥から湧いてきた、次のような感慨でした。
それは、勃興する国は必ず衰退するという、「盛者必衰」の歴史の厳しさです。


以前、陳舜臣著『小説十八史略』を読んだときも同じ感慨を抱いたことがあります。勢いよく歴史に登場した王朝も、やがて停滞し、腐敗し、民の支持を集められなくなり、新しい勢力に滅ぼされていく。中国の歴代王朝が次から次と興っては滅んでいく小説のテーマは、「盛者必衰」そのものでした。


一方、『ローマ人の物語』で語られるローマ帝国は、滅びることは滅びましたが、千年以上も帝国を持続した後の滅亡です。
長期間に渡って帝国を維持してきたことが驚嘆すべきことならば、その理由を追い続けた塩野氏の偉業にもまた、感嘆と賞賛の意を表したいと思います。