職業としての政治


1984年1月刊  著者:マックス・ウェーバー【著】 脇 圭平【訳】
出版社:岩波文庫  \483(税込)  121P


職業としての政治 (岩波文庫)


10月17日のブログで取りあげた『踊る大捜査線に学ぶ組織論入門』に、ウェーバーが官僚制をプラスに評価していることが書かれていました。私はウェーバーをまともに読んだことがないので、ちょっと興味を持ち、今回取りあげる『職業としての政治』を読んでみました。


私と同じように彼を良く知らない方のために簡単に解説すると、マックス・ウェーバーは1864年ドイツ生まれの社会学者・思想家です。経済学・社会学を筆頭とする社会科学・歴史学のあらゆる分野に通じ、とりわけ戦後日本の社会思想に計り知れない影響を与えたそうです。
本書は、彼が1920年に亡くなる前の年に行われた講演をまとめたもので、政治とは何か、政治家とはどうあるべきか、という彼の信条が書かれています。


本書の冒頭で、彼はトロツキーの「すべての国家は暴力の上に基礎づけられている」という言葉を引用し、政治権力というのは暴力を後ろ盾にしたものである、ということを大前提に議論を進めていきます。
そして、「善からは善のみが、悪からは悪のみが生まれるというのは、人間の行為にとって決して真実ではなく、しばしばその逆が真実である」と言っていますから、政治というものは性悪説に立たなければやってられないものなのですね。なんだか、世界史の教科書で勉強したマキャベリのようなイメージが浮かんできます。
ウェーバーにとって、「無差別の人間愛と慈悲の心に溢れた偉大な達人」というのは、宗教家であって政治家ではありません。政治家は、暴力の中に身を潜めている悪魔の力と関係を結ぶ覚悟が必要だというのです。


本書によると、近代の政府というのは、君主や政治家という支配者と専門的に訓練された官僚層が権力を奪い合っているものだそうです。
ドイツのように官僚の力が強いと、専門官僚は閣僚の地位まで要求するようになりました。逆に、アメリカの場合は新しい大統領が就任すると、実務を行うべき官僚の入れ替えが行われます。その数は1920年当時30万から40万に達していたそうです。党のためにつくしたという功績で任命される新官僚の中には、何の実務能力を持たない人も多く、こんな無駄が許されるのは、アメリカが無限の経済的なチャンスを残した国だからです。


こんな分析をする著者ですから、民主主義を手放しで礼賛したりしていません。もっぱら情緒的に働きかける演説が多くなっている当時の状況を、「大衆の情緒性を利用した独裁制」とまで言っています。


それでも、ウェーバーは政治とは素晴らしい仕事であると断言し、能力のある政治家が誕生することを期待しています。最後に、彼の希望の言葉を紹介しておきます。


  政治とは、情熱と判断力の二つを駆使しながら、堅い板に力をこめてじ
  わっじわっと穴をくり貫いていく作業である。(中略)
  しかし、これをなしうる人は指導者でなければならない。いや指導者で
  あるだけでなく、英雄でなければならない。(中略)
  どんな事態に直面しても「それにもかかわらず《デンノッホ》!」と言
  い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への「天職」を持つ。