コーチ


2005年5月刊  著者:マイケル・ルイス【著】 中山 宥【訳】
出版社:ランダムハウス講談社   \1,260(税込)  102P


コーチ


著者の許に出身高校の卒業生から「母校の屋内運動場を改築して、指導してくれたコーチの名前をつけよう」という寄付金募集の手紙がきました。一方、現在も野球部のコーチを続けている当のフィッツに、現在指導している生徒たちの父親が苦情を申し立てている、という話も伝わってきました。
興味を引かれた著者は、母校を訪れ、校長から事情を聞くことにします。


著者の母校は生徒数の少ない裕福な私立校。自分で三塁打を打たなくても生まれたときから三塁ベースに立っているというような、両家のおぼっちゃんが多い学校です。
マイナーリーグ選手で野球部コーチに就任したフィッツは、「おまえたちは楽しけりゃそれでいいと思っている。だが世の中、楽しいことだらけと思ったら大間違いだ」ということをスポーツを通じて教えようとする鬼コーチです。
著者自身も練習をサボって家族とスキーに行ったとき、フィッツコーチに「あいつは、みんなが練習している時にどこにいたと思う。スキーをやっていやがったんだ」とチームメイトに暴露されたことがあります。著者は、長々とお説教される代わりに「特権におぼれる人間はろくでなしだ」というメッセージを受け取り、野球に真剣に取り組むようになりました。野球にかぎらず、何事にも熱意がわいてきた著者は、「グランドでたたきこまれた情熱をほかのすべてのものに注ぎこめば、はるかに充実した人生を送れるのだ」と悟ります。


校長の話では、「過保護の傾向が、年々、急速に強まっています。親が生徒に代わって要望を出してきたり、生徒の肩を持って抗議してきたり……」とのこと。
たとえば、「フィッツがうちの息子を“でぶ”と呼んだ」と親が騒ぎだしたことがあります。フィッツが実際に口にしたのは「7キロ減量する約束だったのに、逆に5キロ太ったじゃないか」ということでした。


著者は、現代アメリカを代表するベストセラー・ノンフィクション作家、とのこと。日本ではノンフィクションがベストセラーになることが少ないので比較になる人がいませんが、43歳ということですから、20年前の立花隆のような存在かもしれません。
そのベストセラー作家が「なんでも自由に書いてかまわないと言われたら、何を書く?」と言われて週刊「ニューヨーク・タイムズ・マガジン」に掲載されたのが本書です。たちまち大反響を呼び、映画化も検討されているそうです。
いままで平穏無事に生きてきたフィッツコーチのもとには講演や書籍執筆の依頼が殺到し、著者は「気の毒なことをしちゃったかな」と苦笑しています。


学生時代に恩師と呼べる人にめぐり合った人は、その恩師を思い浮かべながら、めぐり会えなかった人は「こういう人間関係もいいなぁ」と思いながら読んでみてください。


私の高校時代の恩師も鬼顧問でした。九州出身なのになぜか北海道に渡ってこられ、国語(古典・漢文)の教師をしながら剣道部の顧問をしていました。
本書に登場するフィッツは決して生徒を殴ったりしませんでしたが、私の先生は国士舘大学卒業で担当したのが剣道ですから、練習中に生徒を滅多打ちにしたりしていましたねぇ(笑)。
先生は私の1年と3年の担任でもあり、古典・漢文の時間はよく指されました。「ゆく川の流れは絶へずして……」なんて暗証させられたりして、理系の私も手が抜けませんでした。
練習時間は他の運動部に比べると短く日曜日の練習なし、という続けやすい運動部のはずなのですが、毎年、櫛の歯が欠けるように仲間が退部していきました。
そんな中なんとか最後まで続けることができ、3年生で地区大会団体優勝を勝ち取ったのは、その後の人生を送る際の自信につながりました。
本書の著者も、コーチには野球の技術や試合の勝ち方だけでなく人生の教訓も教わった。それはうまく言葉で整理できなかったけれど、からだの芯ではしっかと学びとっていた、と言っています。

著者マイケル・ルイスは、本書を書くことで恩師の苦境を救うことになりましたが、私の先生は何の恩返しもできないうちに定年退職前に亡くなってしまいました。
ご冥福をお祈り致します。