神さまがくれた漢字たち


2004年11月刊  著者:白川 静【監修】・山本 史也【著】
出版社:理論社   \1,260(税込)  172P


神さまがくれた漢字たち (よりみちパン!セ)


漢字の成り立ちについて、小学生に向けてわかりやすく説明した本、ということになっています。……が、これは子どもも読める大人むけの本、と私は思いました。


小学校の国語では、少しずつ漢字を覚えながら、漢字の成り立ちについて教わる時間もあります。象形文字指事文字、会意文字、形声文字の4つの分類を覚えているでしょうか。これに漢字の使い方を分類する転注文字、仮借文字の2種を加えた六書の説を説いたのが後漢の許慎が書いた『説文解字』です。
本書の監修者である白川静氏は、この『説文解字』の考察には多くの誤りや不十分な個所がある、と指摘し、原初の漢字である甲骨文字(亀の甲羅や獣の骨に占いの辞を刻んだもの)に立ち返って漢字の成り立ちを考察する「白川文字学」の体系を打ち立てました。
その「白川文字学」体系の弟子であり普及活動家である山本史也氏が、分かりやすい本書を書いてくれました。


本書で強調していて、私も「ふ〜ん」と感心したのが、「口(くち)」についての考察です。『説文解字』では単なるクチの形として解釈していますが、この説で「口」を含む文字の字源を解くと、まるでつじつまあわせのようになってしまいます。
白川文字学では、この字は下記のような亀甲文字を起源にしており、

   │     │
   │     │
   ├─────┤
   │     │
   │     │
    \____/

「サイ」と呼ぶ箱型の容れ物をかたどっている、とのこと。
本書にはアルファベットの「U(ユー)」に横棒を加えたような「サイ」を示す漢字が頻繁に使われていますが、パソコンで表示できる標準的な文字(JISコード)には登場しない文字ですので、ここでは便宜上「∀」と表記しておきます。
白川氏は、この「∀」に収めるものは祈りの文であった、と解釈し、弟子である山本氏はこの解釈を絶賛して次のように言っています。
   その「∀」の実質、その機能を深く理解することをもって、はじめて
   日本の現在と、中国古代をつなぐ通路はひらかれるのです。


たとえば、『説文解字』では「名」という字の成りたちを「夕方には相手の顔が見えないから、口で名を告げるのだ」と説明していますが、この口が「∀」であると喝破すると、「夕は月の形ではなく、祭祀のために備える肉の象形」であることが分かります。その肉と「∀」と共に神に祭るのが「名」です。古来中国では、「名」は神の承諾を得た後は神以外の他者に告げることができません。実名を呼ぶことを恐れつつしんで「字(あざな)」を使うのです。
また、人は右手に「∀」を持ち、左手に「工」の形をした呪具を持って神の思し召しを聴こうとします。手を示す「ナ」と組み合わせると、次のような「右」「左」の成り立ちが分かります。
  「ナ」+「∀」=「右」
  「ナ」+「工」=「左」
この「∀」と「工」を手向けて神のありかを尋ねるのが「尋」という文字とのこと。「尋」の上部にある「ヨ」も下部にある「寸」も「手」の変形ですから、「右」と「左」を合体させているのです。
こういう説明を目にすると、「人は右手を使って食べ物を口に運ぶから、という従来の説は、とるに足らないものである」という山本氏の主張も納得してしまいます。


漢字は単なる記号ではない。自然や社会に対する切実な思いがこめられているのだ。という白川文字学に、この入門編を通じて耳を傾けてみましょう。