介護地獄アメリカ


副題:自己責任追求の果てに
2005年1月刊  著者:大津 和夫  出版社:日本評論社  \1,680(税込)  210P


介護地獄アメリカ―自己責任追求の果てに


自己責任の国アメリカで、老人の介護がどのように行われているのか、その他社会保障がどうなっているのか、著者自身が調査し、インタビューしてまとめたレポートです。
著者が会社を休職してアメリカへ留学する目的を説明したとき、「えっ? アメリカで社会保障?」と怪訝な顔をされたそうです。社会保障制度の進んだ北欧諸国ならともかく、アメリカは先進国で唯一、国民全体をカバーする医療保険がないなど、社会保障の“後進性”で知られる国です。
著者が敢えて“後進国”を選んだのは、日本が少子高齢化で財政ピンチになる中で、なし崩し的にアメリカに近づいているのではないか。アメリカの福祉の良し悪しを検証する必要があるのではないか。という思いからでした。


本書で報告される米国の介護事情は悲惨です。
自己責任の国ですから、「支払い能力により、受けるサービスが違う」のは当たり前。ナーシングホームという日本の特別擁護老人ホーム、老人保険施設に相当するサービスがありますが、「とほうもないほど高額」で、とてもふつうの人は利用できません。そのうえ、施設では機械的に生活時間割をこなすことを求められたり、虐待も珍しくないないとか。サービスの質も悪いので、介護をする人は“最後の手段”と考えています。
悲惨な事態を防ぐはずのオンブズマン制度も十分に機能しているとはいいがたく、インタビュー相手も「制度は整っているはずです……。あとは、人間のすることですから……」と、効力の無さを半ば認めています。
著者が調査したニューヨーク州の場合、高齢の要介護者の8割は、やむを得ず家族が介護しているのが実態です。アメリカといえば、看護スタッフやヘルパーなどの有償のフォーマルケアが中心というイメージがありますが、実は、米国では家族が介護の大きな柱とのこと。
しかも、介護者の7割は女性です。平均年齢は46歳。多くの場合、娘か義理の娘で、アメリカの介護問題は女性問題でもあります。ここでも「アメリカといえば、ジェンダー問題の先進国」という印象は裏切られ、「介護問題に関するかぎり、日本と極端な差はないことがうかがえた」と著者は報告しています。
余談ですが、ヨーロッパ統合の父と呼ばれるクーデンホーフ・カレルギー伯の母「光子」の生涯を描いた1973年放送のNHKドラマがありました。その中に、主人公を演じた吉永小百合さんが現地レポーターとして「光子」の娘オルガにインタビューする場面がありました。オルガは晩年のミツコの元にただ一人残って17年間介護を続け、婚期を逸したといいます。私が介護問題の深刻さを初めて認識したのは、この時でした。
介護を女性が負担する、というのは、ヨーロッパの貴族にも共通する問題なのですね。


アメリカに話を戻すと、最近、政府も少しは介護者の負担を減らそうと重い腰を上げ、クリントン政権時の1993年に「家族介護休暇制度」がスタートしました。しかし、これも「年間12週間の無給休暇がとれる」という「クビにならなくて済む」程度の支えでしかありません。日本が1995年に法制化(努力義務)した介護休業制度が「給与の4割を雇用保険から支給する」という内容と比べると、「介護者を支える」という考え方の違いが際立っています。


この他、「保険がなければ手術はしない」など、深刻な医療無保険の弊害や、最近のアメリカの福祉改革の光と陰、年齢差別法の効果検証もレポートされています。


少子高齢化に伴い、日本は福祉のレベルがアメリカに近づいてくるかも知れません。近未来を想像するには最適のレポートでした。


著者の経歴を見て私が驚いたのは、この調査をするために、著者が新聞社を休職して留学したことです。
あとがきには、日本の大新聞「読売」の名前を出しても、全く相手にされず、取材に応じてもらえなかった苦労話もあり、読んでいて、思わず応援したくなったりしました。
本書は一種の卒業論文ともいえます。ちょっと物足りなかったのは、深刻な問題なのに、感情に訴える部分が少ないように感じた点です。
介護に疲れ、将来に不安を抱えたインタビュー相手のことを、敢えて淡々と書いていたのは、この問題を読者の同情や憐れみに訴えることを「禁じ手」としたのでしょうか。本書がノンフィクション作品であれば、読者に感情の大波を起こさせるような表現が欲しいところです。


今後は、社会問題の調査報道記者として大成してください。


ところで、『我、拗ね者として生涯を閉ず』に続いて、今回も読売記者の本になりました。私は朝日新聞購読者なんですけど(笑)。