ベンチャーに生きる


副題:私のチャレンジ半生記
2004年12月刊  著者:今野 由梨  出版社:日本経済新聞社  価格:\1,680(税込)  271P


ベンチャーに生きる―私のチャレンジ半生記


女性が仕事をするのが困難な時代に会社を興し、60歳を過ぎても元気いっぱいの著者が語り下ろした波乱万丈の物語です。


1936年生まれの著者は、大学へ進学するのも就職するのも「女だから」という理由で反対されました。そのたびに男性中心社会の理不尽を感じ、「今にみていろ」とエネルギーを蓄えます。
会社が女性を雇ってくれないのなら10年後に自分で会社を興す、と決めた著者は、32歳で本当に会社を設立してしまいます。
会社を興し伸ばしていく過程での魅力的な人々との出会い、女性ばかりの会社を維持するための苦闘、病とのたたかい、養子縁組した20歳の青年との葛藤の日々。いつも全力でぶつかり、激しく衝突しながら突破していくエピソードの数々は、女性はもちろん男性が読んでも浄化作用(カタルシス)をもたらします。


たとえば……、


高校で一人という難関の奨学金が内定した夜、幼なじみの男友達の母親が家を訪ねてきました。仕事を持つ女性として長年尊敬してきたのですが、その人の口から、
「いくら勉強ができても、女の子は世のため人のために働けるわけではない。将来のあるうちの子に譲ってほしい」と言われます。
ショックでしばらく口も利けなかった著者でしたが、気を取り直して言いました。
「よくわかりました。意味を理解したうえで、私が選ばれたのは正しかったといつか思っていただけるよう、世のため、人のために役に立つ人になることを約束します」
言われた言葉は著者の闘志に火を付け、職業を持つと固く決意するきっかけになりました。


昭和20年7月に三重県桑名市に大空襲があり、あやうく死にかけた9歳の著者は、「もし生き残れたら、大人になって、アメリカに行って、この体験をみんなに話して、二度と子どもたちが戦争で命を落とすことのないように頑張ります」と神様に誓います。
後日、ニューヨーク世界博のコンパオンとして初渡米し、マスコミ対応しているとき、車イスに乗ったジャーナリストと話をする機会がありました。自分の出身地を尋ねられて「三重県の桑名というところ」と答えると、彼の顔色が変わりました。聞けば、その人は桑名を爆撃した米海軍兵士で、戦争の心の傷から半身不随になってしまったといいます。「よく生きていてくれた」と声をつまらせる彼は、著者が9歳から秘めていた誓いの内容を聞き、「私もマスコミの人間として、いろいろな人たちに話していこう」と言ってくれます。


今野さんは「私は子供の頃から誰かを守る方の役割で、いまだに私を守ってくれる人は出現していない」と言っていますが、そんなことはありません。20年も夫として支えてくれた、元TBS人気ディレクターの今野勉氏がいます。
会社をはじめた時に家財道具やもろもろの必需品を自宅から持ち出して事務所備品にしましたが、彼は何も言いませんでした。夫の給料を社員への給与に流用しなければ会社がつぶれてしまうような苦境にも、目をつぶってくれました。
そもそも結婚届を役所に出す時も海外を飛び回っていた著者ですから、家庭を築くよりも自分の会社に入れ込むというのは、はじめから分かっていました。大多数の女性が専業主婦になる時代に、よくぞこんな奥さんをもらってくれたものです。
著者も、いつ愛想をつかされても仕方がない、と覚悟していましたが、結婚して20年後にとうとうその日がやってきました。本書に別れの理由は書いてありませんが、「テレビマンユニオンに電話をくれれば、いつでも僕はいるからね」という手紙を残していったのですから、憎みあって分かれたわけではありません。
著者が現在あるのは、この心やさしい元夫が居てくれたからに違いありません。


そういえば、「元TBSの人気ディレクター」「テレビマンユニオン」と
いえば、どこかで聞いたような……?
そうです。元夫の今野勉氏というのは、2月15日のブログで紹介した『テレビの嘘を見破る』の著者でした。
一ヶ月も間をおかずに元夫婦の二人の本を読む、というのは、なんだか不思議な体験ですね。


他にも、マラソンゴルフでギネスブックに載ったり、60歳を過ぎて四千メートル級のロッククライミングで有名な山に登攀したり。
全力で失踪する著者のエネルギーと、心に秘めた悲しみが伝ってきます。
中身の濃〜い本でした。