著者:御手洗 瑞子 出版社:新潮社 2012年2月刊 \1,512(税込) 223P
糸井重里氏が
「意外と重要な本なのではないかと思う。」
と帯に推薦文をよせている。
「意外と……」というのは、ちょっと失礼な言い方だ。
「まあ、たいしたことない本のように見えるかもしれないけど……」と言っているようなものだ。
しかし、「意外と重要な本」といわれると興味をそそられるのも事実。そして、この本を読みおわったときに、この「意外と……」というのがこれ以上ない褒め言葉ということも分かってくる。
さすが「1行1千万円のコピーライター」と豪語した糸井氏だけのことはある。
今日の一冊は、すらすら読みやすい文章なのに、人生について、日本文化について、今までもっていた常識や固定観念をうち破ってくれる、ものすごく重要な本を取りあげることにする。
著者の御手洗氏は1985年、東京生まれ。
東京大学経済学部を卒業し、マッキンゼー・アンド・カンパニーに就職した。
マッキンゼーは、あの大前研一氏や勝間和代氏を輩出したことで知られる、経営コンサルティング会社である。
あるとき会社の同僚から、ブータン政府が「首相フェロー」というポジションを作り、初代首相フェローを募集している、と聞いた。
高校1年のときに「ブータンはGDPではなくGNHの向上をめざす」国であることを知り、御手洗氏はブータンに興味をもっていた。
すぐに応募し、「幸運にも、その機会に恵まれることができました」という結果になった。
採用が決まってから1ヵ月もしないうちに、ブータンの空港に到着するところから本編がはじまる。
見るもの、聞くもの珍しい、冒険と発見のはじまりはじまり〜〜
……と思ったら、本題に入るまえに、第2章には「ブータンってどんな国?」、「ブータンの言語」、「ブータンの王室」などのブータンの基本知識が分かりやすく書いてあり、「番外編」としてカラー写真が16ページも載っている。
ブータンの子どもたち、お祭りや舞踏のようす、ランチ、市場、食材、民族衣装、風景などを見ていると、この本は、ちょっと長い観光に行ってきた旅行記のように見えてくる。
いやいや、勘違いしてはいけない。著者は「首相フェロー」としてブータン政府から招かれた人なのだ。
「第3章 オフィスで働く日々」から、やっと仕事のお話がはじまり、「意外と重要な本」の理由が見えてくる。
御手洗氏の職場は、ブータンの重要政策の統括を行っている部門だ。「首相フェロー」というのは、海外の若手プロフェッショナルを1年間の期限で雇用する制度なのだが、まだ始めたばかりで仕事の内容が決まっていない。
「なんかきっと、役にたつことをしてくれるだろう」という期待だけがあったようだ。
何日か席で資料を読みながらのんびり過ごしたあと、「待っているだけでは何も始まらない」と気づいた御手洗氏は、自分の仕事の内容を自分で決めることにした。
ブータン経済の2大成長産業は「水力発電」と「観光」である。
「水力発電」は政府主導で事業が回りはじめているものの、観光業はまだ「自然と文化を守りながら、観光客を増やす!」という目標はあるものの、具体的戦略が決まっていない。
マッキンゼーでビジネス分野のコンサルタントをしていた著者としても、「水力発電」よりは「観光」のほうが得意分野だ。
御手洗氏は、仕事の内容を決めた。
「観光産業育成、特にマーケティング戦略とそれを観光局が継続的に行っていけるようにする組織変革を手伝う」
という仕事だ。
観光局に席を用意してもらい、仕事をしはじめた著者は、ブータンの働きかたや考え方が日本と違うことに戸惑いを覚える
まず驚いたのが、先の予定を入れないこと。
ほとんどの人が手帳もカレンダーも使っていないので、覚えられる範囲(だいたい翌日まで)しか予定を入れない。
会議を開くときは、みんないそうな時に「みんな、いま会議室に集合して〜〜」とオフィスを駆けまわるしかない。
大臣や次官などの政府の高官になるとさすがに秘書がスケジュール管理しているが、それでも入れられる予定はだいたい1週間先までだそうだ。
はじめは戸惑ったが、慣れると不思議なもので「これはこれで楽でいいな」と思うようになった。
予定を立てすぎると、予定通りに進めることそのものが目的化してしまうこともある。予定通りにいかないとストレスになり、予定にないことへの寛容さがなくなることもある。
ブータンのように予定が立っていない世界だと、「予定を立てちゃったから、その通りにやらなくてはならない」ということに縛られず、そのときに「いいな」と思えることをやっていく、という気楽さがいい。
日本に留学経験のある同僚に「日本人とブータン人、どこが一番違うか」と訪ねたとき、同僚は言った。
「ブータン人は、いつも自信満々なんだよね」
そういえば、人見知りするブータン人の子どもを見たことがないし、おとなも老人も、実に堂々としている。
計画が遅れてしまったときでも、「先週は○○と△△で忙しく、全くそれどころではありませんでした」と理由を述べてキリッとした態度を崩さない。
どうして自身満々なのか理由を考えてみると、2つ思い当たる。
ひとつは、「人間の力ではがんばってみてもどうにもできない」と思っている範囲が日本人よりずっと大きいこと。
自然の力、運、縁、運命など、どうにもできないことで悩まないのだ。
もうひとつは、ブータンには失敗や間違いは「許されるもの」という文化があることだ。
できなかった理由を説明すると、「じゃあ、仕方がないね」で済まされる。
失敗を責めるのは、人を許すことのできない「徳の低い人」のすることなのだ。
こういう背景があるから、
「ブータンの人は、ミスをしたりやるべきことをやってなかったりしても、あまりへこんだり反省したりしないものなんだ」
と著者は気づく。
ついでに、「キリッとしているからといって、仕事ができるとは限らない」ということも分かってしまった。
だからといって、ブータンが遅れている国、とはいえない。良い面もあるし、悪い面もあるのだ。
御手洗氏は言う。
「ブータンは夢の国」と認識すると、見えなくなるものも多くなります。ブータンは、良いところも悪いところもある、現実の国です。ただ、世界におけるとても希有なモデルとして、学べることは多いのではないでしょうか。
もちろん、国を成り立たせていくための課題も多い。
チベットのように中国に併合されないよう、かといってインドに依存しすぎないよう、国際政治のなかでどのようにふるまっていくのか。
じつはバブル気味のブータン経済を、どのように舵取りしていくのか。
ブータンの課題についてのまじめな話も後半に登場するが、それはこの本が「意外に重要な本」である理由の一部だ。
「意外に重要な本」の一番の理由、と僕が考えたのは、ブータンの文化を知ることによって日本人の常識を考え直すきっかけを与えてくれること。
最後の「11章 幸せに、なろう」ではブータン人の幸福感が日本人とかなり違っていることを紹介している。
チベット仏教の熱心な信者の多いブータンでは、あまり個人的なこと、世俗的なことは祈らないそうだ。
日本の神社に奉納されている絵馬に「志望の大学に合格しますように!」とか「彼女ができますように」などと書いてあることをブータン人の同僚に教えたとき、「そんな個人的なこと祈るの?」と驚かれたという。
少し長いが、この本で最も重要と思ったセリフを引用して、本書の紹介を終わることにする。
「幸せを願うのであったら、自分の幸せではなく、周囲の人の幸せを願わなくてはいけない。家族だとか、友人だとか、自分の身近な大切な人たち。そして周りの人たちが幸せでいられるように、できる限りのことをするんだ。知ってるかい? 人のためになにか役に立つことをして、相手が幸せになるのを見ると、自分にもとても大きな満足感が返ってくるんだよ。それは自分のためになにかしたときより、ずっと大きな満足感なんだ。幸せになりたかったら、まず周りの人の幸せを願って、そのためになにかすることが大切なんだ。自分の幸せを探し出したら、幸せは、みつからないんだよ。ブータン人は、それをみんなよくわかっている」
(御手洗氏の上司であるGNHコミッション長官の言葉より)