血の味


2003年3月刊  著者:沢木 耕太郎  出版社:新潮文庫  価格:\500(税込)  300P


血の味 (新潮文庫)


以前紹介した沢木耕太郎の『無名』がテレビドラマ化されたので、松本幸四郎の主演の放送を私も見てみた。原作と違う部分があるのは仕方がないことだが、根幹の部分で異なっていたのは、テレビドラマでは“父にとって私は何だったのだろう”という問いかけが主題になっていることだった。原作でも「父と私の関係」を考える部分はあったが、あくまで父の人生を振り返ることが主題だったように思う。
脚本家の創作といってしまえばそれまでなのだが、原作者に相談した上のことだろうし、何か他の作品と関係があるのかもしれない、と考えて手にしたのが本書である。


本書『血の味』は、『無名』の執筆を一時中断して書いた小説である。15年前に書きはじめ10年前に九割方書き上げていた原稿を一気に完成させた、と著者が「後記」に書いている。
ノンフィクション作家である著者が初めて公にした小説の冒頭は、「中学三年の冬、私は人を殺した」という一文ではじまる。少年院を出たあと、「私」は働きながら大検、国立大学の二部、税理士、公認会計士と次々に試験に合格するが、試験勉強に追いまくられる日々の中で人を殺した場面を思い出すことはなかった。しかし、ふとしたきっかけで20年ぶりに思い出してしまった中学三年の出来事を回想する形で物語は進められる。


陰鬱な小説だ。
殺人、という題材のせいだけではない。理由もわからず出奔した母と妹、本ばかり読んでいる父との二人だけの殺風景な生活、ふだんは無口だが時に凶暴になる「私」、銭湯ですり寄ってくるゲイの青年、尊敬できない教師。すべてが雲が低くたれこめた空を思わせるような暗い設定である。
意外な人物の殺人に至るまでの回想を終えた後、「私」は自分のしたことの意味を初めて悟る。それは……。


「私」が悟ったこと、とは著者が書きかけのまま10年間放置していた末に「何を書こうとしていたのかがはっきりとわかる」と悟った内容と同じはずなのだが、その内容は明瞭な表現で示されることはない。夢の中の情景や「暗号のような文字で書かれた黒い革の本」を通して語られるので、他の読者がその内容をどのように捉えているのか知りたくなるような多義的な解釈が可能である。
文庫本の解説では、文芸評論家の富岡幸一郎氏が「作者自身が永らく執着してきた、生きることが完全燃焼し、ほとんど死と交錯する煌きの一瞬をあきらかにする作品」というような趣旨で捉えていた。


しかし、私の解釈は違う。


著者の沢木耕太郎は、いつも物悲しい語り口でルポルタージュを書いてきた。それは、取材相手が輝く瞬間を凝視しながらも、自分自身は当事者ではないのだという一種の空しさ、当事者でないことの後ろめたさを感じさせる文章であった。
私は、この作品は、小説の形を借りて、「自分は永遠に文章の世界の側にいるしかないのだ。それで良いのだ」と吹っ切れた心情を吐露したのではないかと感じている。




尚、著者の初めての小説には、過去の作品を連想させる表現や内容がたくさん登場する。文庫本の解説では、『テロルの決算』と共通する心情を挙げているが、私は、もう一点、『無名』と共通する表現を挙げておこう。
『無名』の末尾で、父の葬送のための一連の行為を終えた著者は、「それでよし」と呟いて地下鉄の階段を下りていった。夕暮れどきの空を見上げると、そこにはとうてい雪など降りそうもない冬の透明な空があるだけだった。
本書『血の味』の末尾で、「私」は「それでいい。そう、すべてにおいて後悔はしていない」と語る。電車の窓から差し込んでくるザクロのような赤みを帯びた夕陽が眼にしみるようにまぶしかった。


彼自身の心情を吐露した初めての小説、彼の作風の背景が推測される一書である。沢木耕太郎ファンにとっては必読の書である。