あなたは、わが子の死を願ったことがありますか?


副題:2年3カ月を駆け抜けた重い障がいをもつ子との日々
著者:佐々 百合子  出版社:現代書館  2016年4月刊  \1,728(税込)  205P


あなたは、わが子の死を願ったことがありますか?: 2年3ヶ月を駆け抜けた重い障害をもつ子との日々    ご購入は、こちらから


重い障がいをもつ子と過ごした日々をつづった体験手記である。


2012年8月1日の深夜、軽い前駆陣痛を感じた著者は産婦人科の看護師に電話して様子をみることにした。
午前3時半ころ、今までとちがう強い痛みにおそわれる。必死で立ちあがろうとしたが体に力がはいらない。お腹は石のようにかたくなり、お腹の赤ちゃんも固まったようにうごかなかった。


何とか気力をふりしぼり、転がるようにして車に乗りこんで産婦人科に向かった。緊急手術で帝王切開して赤ちゃんは生まれたが、すぐにNICU(新生児特定集中治療室)のある病院に救急車で運ばれていった。


あとで分かったことだが、著者は胎盤が剥がれる「常位胎盤早期剥離」を発症したのだった。これは全妊娠の0.44%〜1.33%に発症する症状で、胎盤が剥がれる面積が小さかった場合やゆっくり剥がれた場合は母子ともに助かるのだが、胎児が弱りきっていると病院へ着いたときに胎児死亡になっていたり、帝王切開しても障がいが残る場合がある。


母子ともに死亡する場合があることもあることを考えると、生まれてきた「尚くん」も母親である著者も、常位胎盤早期剥離を起こした中では運のいいほうだった。


しかし、恐れていたとおり尚くんに障がいが残った。


痙攣発作が出はじめ、腰はすわらずお座りもできない。ハイハイなんて夢のまた夢で、ミルクを飲む量も少しずつ減ってしまった。
起きている時間は号泣しつづけ、目をはなすと強く反りかえって呼吸ができずにチアノーゼになってしまうので、抱っこしていないと安心できない。


頻発する発作と反り返りと号泣に心身ともに疲れきり、とうとう生後8ヶ月直前に経管栄養(鼻から胃に通した栄養チューブを用いて流動食を投与する)を開始した。


尚くんの上に女の子もいたので、著者が全力をつくしても生活がまわらない。医療も福祉も、当事者の著者からすると、腰の引けた対応しかしてくれない。


それでも、泣いてばかりいた尚くんに少しずつ改善のきざしが見えてきた。反りかえりが弱くなり、抱っこするとニッコリとすることもある。著者の心にも少し余裕がもてる瞬間ができてきた。


リハビリテーションを開始し、音楽療法を開始し、家族旅行にも行けるようになった。


しかし、上の女の子の保育参観にいっしょに参加した3日後のこと。2014年11月10日の朝、突然、尚くんとの別れがやってきた。
「何だか尚くんまだ寝ているね。今日はなかなか起きないね」と尚くんの顔を見ると、少し唇が青い。急いで駆けよると息をしていなかった。


救急車を呼び、夫と2人で人工呼吸と心臓マッサージをした。病院についてからも「尚くん、お願いだから帰ってきて。もう一回目を開けて!」と何度も尚くんに声をかけた。
しかし、尚くんは帰らぬ人となってしまった……。



著者の佐々氏は、フェイスブックのぼくの友人である。
本書にも登場する「すごい100冊倶楽部」という読書サークルでお会いしたご縁で「友達」登録していただいた。


お子さんが障がい者であること、東京から秋田へ引っ越したこと、たいへんな思いをして子育てしていることをフェイスブックの記事で知った。


まだフェイスブックの「いいね!」が一種類しかない頃だった。つらい話題に「いいね!」を押せるわけがない。
たくさんの友人たちが励ましのコメントを寄せていたが、ぼくは何も書けなかった。


フェイスブックは残酷だ。
こんなにつらい思いをしている佐々さんの投稿のすぐあとに、他の人の楽しい食事や旅行やイベントの報告がいくつも並んでいる。
ぼくはフェイスブックを楽しめなくなってほとんど見なくなってしまった。


何日かに一度、少しだけフェイスブックをのぞいていたとき、佐々さんが障がい者のお子さんを亡くしたことを知った。たくさんの友人たちが慰めのコメントを寄せていたが、やはりぼくは何も書けなかった。


それから1年半。やはりフェイスブックでこの本の出版を知った。
知り合いが本を出したのだから「おめでとう」のコメントを書けばいいのかもしれないが、気軽に「おめでとう」と言えない書名を見て、また何も書けなかった。


だが、ぼくも書評家のはしくれである。
友人として言葉をかけることはできなくても、ひとつの作品として受けとめて著者へのエールを送ることにしようと思う。


以下、書評家として感じたことを書かせていただく。


『あなたは、わが子の死を願ったことがありますか?』という書名から、嘆き悲しんでいるだけの内容を想像してしまったが、実際に読んでみると違っていた。
時系列にそって自分が経験した厳しい状況とそこで感じた苦しみや悲しみを書いていることはもちろんだが、医療や福祉の手当てが不十分なところを指摘したり、当事者のためにもっと行政にがんばってもらいたいことを提案したりしている。


本書の最後には「心のバリアフリーの浸透した社会」をめざして一歩を踏みだしたことを報告しているのだが、決意を新たにしている著者の姿は、本書を単なる体験手記から、佐々氏自身の再生の物語に昇華している。


我が子を亡くしたあと佐々氏が一歩を踏みだすところまで読んで、ぼくは文化人類学者の上田紀行氏が書いた『人生の〈逃げ場〉』を思い出した。
『人生の〈逃げ場〉』は、サラリーマンが会社生活に行き詰まらないような心構えを教えてくれる内容なのだが、その中で、お釈迦さまの次のような説話を紹介していた。


幼ない子を病気で亡くして悲嘆にくれる婦人が、亡くなった赤子を抱いてブッダのもとを訪ねた。
「私のこの子どもを、どうか生き返らせてください」とお願いする婦人に向かってブッダは言う。
「わかりました。ただし条件があります。1人も死者を出したことがない家を見つけてケシの実をもらってください。ケシの実が3つ集まったらあなたのその子どもを生き返らせてあげましょう」と。


婦人は必死になって家々を回ったが、死者を出したことがない家は見つからなかった。
婦人はあることに気づいて、ブッダの元にもどってこう言った。
愛する人の死は、誰も避けることができないものなのですね。世の中は無常なのですね。私はあなたのおっしゃりたいことがよくわかりましたので、あなたに帰依します」


こうして婦人はブッダの弟子になったのだが、なぜブッダはこんな遠回しなことをしたのだろうか?


上田紀行氏は、ある仏教学者の次のような解釈を紹介している。


死んだ子どもを抱えて悲しそうに家を訪ねてきた母親にむかって、人々はなんと言っただろうか。
「あんただけが身内を亡くしているわけじゃないんだよ。帰れ、帰れ」と冷たい言葉を投げかけたりはしなかったはずだ。心の奥底から悲しんでいることに思いを寄せ、その悲しみにできる限り寄り添おうとしたのではないか。

 ある家では、年輩の女性からこんなふうに声をかけられたかもしれません。
「私も昔、10歳になった子どもを病気で亡くしたことがあってね。あのときは本当に悲しかったよ。そうかい、あんたの子どもは赤ちゃんのときに亡くなってしまったのかい。かわいい盛りなのにね。悲しいことだよね。でもごめんね。うちもそういうわけで死人を出したことがあるから、ケシの実はあげられないんだよ」
 また別の家では、若い男からこんなふうに言われたかもしれません。
「おいらは8歳のときに母ちゃんを亡くしてしまったんだ。流行りの病でね。大切な人が亡くなるってのは、何とも言えずつらいものだよね。おいらは男だけど、でもあんたのつらい気持ちはよくわかるよ」


自分が抱えている苦しみを心から受け入れてくれる人に出会い、たくさんの人から慈悲をもらうことは、子どもを失った悲しみから立ち直るための何よりの癒やしになる。それをブッダは分かっていたに違いない。


佐々氏も、この本を出版することによって多くの人々の共感を得ることだろう。


さっそく『里山資本主義』等の著者で知られる藻谷浩介氏が、佐々氏に寄りそう書評を発表している。藻谷氏は毎日新聞の書評欄で『あなたは、わが子の……』を取りあげ、次のように自身の経験を書いた。

 評者の長男にも、先天性の内臓形成不全があった。幸い問題は物理的なもので、出生直後の2度の大手術で無事完治し今日に至るのだが、子供が死にかけた際に親が感じる気持ちというものを、いっとき評者も味わった。理屈抜きの、臍(へそ)の下から湧き上がってくるような悲しみ、生き物としての本能の呻(うめ)きに、自分でも驚いたものだ。
(中略)
 目の前にいる子供を可愛いと思い必死に育てようとするのは、親の本能だ。本書に挿入されている可愛らしい写真の数々を見れば、誰でもその気持ちがわかるだろう。

        (毎日新聞2016年5月15日 東京朝刊より)


実は、ぼくも「我が子が死んでしまうかもしれない」という場面を経験した一人だ。
妊娠7ヶ月目に母子ともに危険な状態になってしまい、帝王切開で生まれた娘は800グラムに満たない超低体重児だった。母乳パックを抱えてNICUに通ったこと、1グラムの体重増減に一喜一憂したこと、退院してからも薄氷を踏む思いで日々を過ごしたことを今でも鮮明に覚えている。


フェイスブックに自分の経験を書けなかったのは、我が家の場合は小学校入学時に小児科を“卒業”することができたから。結果的に子どもを亡くしたしまった佐々氏にかける言葉が見つからなかったのだ。


だが、この本を読んで安心した。


佐々氏は、もう嘆いているだけの母ではない。
同じようにつらい思いをした人の手をとり、「つらいのは、あなただけじゃない」といっしょに泣いてはげます強さを持っている。


家族の死を身近で経験した人も、経験したことのない人も、この本を手にした読者は佐々氏の深い悲しみに圧倒されるだろう。
そして、佐々氏が新しい一歩を踏みだしていることに強い勇気と希望をいだくに違いない。