著者:杉田 成道 出版社:扶桑社 2010年12月刊 \1,470(税込) 371P
著者の杉田成道氏は、国民的ドラマ「北の国から」で知られる演出家である。
杉田氏は50歳のとき妻を癌で亡くすが、その後、57歳で年齢差30歳の若妻と再婚したあと、57歳で第一子、60歳で第二子、63歳で第三子が誕生する。
本書は、還暦をすぎて子育てに奮闘する杉田氏が、新たな家庭を作る物語と、前妻との別れに代表される家族、親族の死の物語を交互に語る「生と死」の物語である。
見る人の心をとらえて離さないドラマの制作者らしく、本書には多くの生と死の物語が登場するが、すべて自分の家族、親族の実話だ。よくぞこれほど個人的エピソードを持っているものだ、と感嘆する。
多くの泣ける話、笑える話が登場するなかで、特に印象に残った逸話を紹介させていただく。
まず、笑える話から。
前妻を亡くしたあと、杉田氏を慰めようとして亡妻の友人が開いてくれた食事会で、後に再婚することになる依里さんと再会する。衣里さんとは一緒に一度だけスキーに行ったことがあったのだが、顔も覚えていなかった。
一度、撮影現場に来て演出家のカッコよさに惹かれてしまい、こちらは結婚など夢にも考えていないのに、衣里さんが真剣に将来を考えるようになってしまった。
30歳離れているので、自分が働けなくなったあとのことを考えると、杉田氏は二人の結婚を想像することができない。
彼女に押し切られるかたちでずるずると婚約し、彼女の誕生日に婚姻届けを提出した杉田氏だが、それでも覚悟が決まらない。婚姻届けを出しても相変わらず別々に暮らしていた杉田氏は、衣里さんから妊娠を告げられて動揺する。
世界は一変した。ノストラダムスの予言は、僕だけに、的中した。神の鉄槌は下され、大地は揺れ、亀裂が無限の暗闇を作り、僕はその闇に放りこまれた。
「できたの……」
この一言に、古今東西、いったいどれだけの男が、戦慄に皮膚が粟立ったか。人生を誤ったか。悲しむに余りある。
「できたの……」
こう、彼女は言った。すべては、そこから、始まった。
笑える。
もうすぐ還暦近い中年男が、まるで二十歳の若造のように狼狽する様子に思わず笑ってしまう。
覚悟を決めて、ごくごく限られた人数で結婚披露宴を開くのだが、杉田氏と新婦を横にした倉本聰の挨拶もふるっている。
「えー、本日はおめでたいというか、なんというか……」
とはじめたかと思ったら、
「聞けば、新郎が五十七歳で、新婦は二十七歳という。これは三十歳の年の開きがあるということです。するとですね、新郎が三十七歳のとき、新婦は幾つになるんでしょうか。七歳ですか、(突然、思いついたように)七歳ですよ。よーく、想像してください。これは、犯罪ではないですか、犯罪ですよ、そうでしょう。」
と祝辞にしては辛口の挨拶をつづけた。
おかげで、このあと杉田氏はことあるごとに犯罪者と呼ばれることになったという。
次に、泣ける話。
ドラマ「北の国から」の最終回制作を開始したときのこと。
倉本聰氏は、富良野のロケでお世話になっている仲世古さんの奥さんが亡くなった実話をモデルに脚本を書いた。
ところが、仲世古さんをモデルにした「中畑さん」の役を演じている地井武男氏に脚本の内容を説明をしたところ、もう「北の国から」には出演しない、と言われてしまった。
日を改めて理由を訊ねたところ、「女房が……癌だ」とのこと。
事情を聞いた倉本聰氏が脚本を書き直そうとするが、杉田氏は、地井武男氏の役者魂を信じて待つことを提案する。
信じていたとおり、約1ヵ月後に地井武男氏がフジテレビにやってきた。
応接間での長い沈黙のあと、地井氏が言った。
「おととい……女房が、死んだよ。」
(中略)
「少し前に、女房にね、聞いたんだよ。中畑(役の名)の奥さんが死ぬ話だけど、こんな状態だし、断ろうと思うってね。そしたら……『なにこだわってんのよ。仲世古さんと、スギ兄ィの奥さんの鎮魂歌だと思えばいいじゃない。やんなさいよ』……って、笑ってね……(絶句)」
「……」
「お前の鎮魂歌だよって、ここ(喉)まで出たんだけどね……」
「……」
「あいつ……判ってたんだ……」
あとは、声にならなかったという。
こんな事情を知らずに倉本聰氏が書いた脚本には、中畑和夫が五郎に奥さんの癌を打ち明けるシーンが入っていた。
中畑役の地井武男と五郎役の田中邦衛は、次のように会話する。
和夫「(作業しつつ)女房の癌が再発した」
五郎の顔。
和夫「医者は春までもつまいっていいやがった」
五郎。
和夫「急いで建てねえと間に合わなくなっちまう」
五郎「――」
和夫「あいつはこの家を愉しみにしてンだ」
和夫の目から涙が噴きだす。
音楽――イン。
五郎。
五郎「みずえちゃんは――。そのことに気づいているのか」
間。
和夫「判らねえ。――たぶん」
五郎「――」
和夫「判らねえ」
五郎「――」
こんな脚本を書く倉本氏も倉本氏だが、さらに驚くのは、ロケ現場での杉田氏の演出だ。
自身の体験と重ねあわせたのだろう。
本番の地井武男の演技は、もはや芝居というよりドキュメントであった。
最後に、帽子を投げ捨てて顔を覆ったところで、「カット」の声がかけられる。
スタッフ一同、水を打ったように静まりかえるなか、杉田氏は言った。
「もう、一回。」
地井武男が杉田氏のところへ来て言う。
「すまん、スギ兄ィ……芝居にならん。」
もうこれ以上できない、とも聞こえる地井武男の一言だったが、杉田氏が再度の撮り直しを命じたのは、まさに「芝居にならん」からだった。
胸を打つ芝居ではあるが、芝居をこえて現実としか思えない演技だった。それゆえ、この場面だけ全体から浮いてしまうことを恐れた演出家は、「もう、一回」と言ったのだ。
杉田氏も、自身の経験から妻を亡くした痛みはよく判る。もう一度演じることが、地井武男にとってどれだけ辛いか、苦しいか、手に取るように判る。
それでも、その辛いことを要求するのが演出家なのだった。
いやはや。
流れ出した涙も凍りつくような、恐ろしいエピソードだった。
最後に、お口直しに、もうひとつ笑えるお話しを。
再婚した妻は30歳も年下なので、義父=妻の父も杉田氏より5歳年下である。杉田家では、子どもが父を呼ぶときは「お父さん」、祖父・祖母を呼ぶときは「ジイジ」「バアバ」と呼ばせているのだが、「お父さん」と「ジイジ」「バアバ」の年齢が逆転しているので、ファミレスなどではおかしなことになる。
妻の両親と杉田親子がファミレスに行ったときこと。
「ジイジ」に買ってもらったお菓子を、子どもから取り上げるよう、妻が叫ぶ。
「カズくん、またジイジにお菓子買ってもらったの。ジイジ、ダメじゃない、バアバにハイッて渡して。ハイッ。お父さん! お父さん! 黙って見てないで、取りあげてよ!」
周囲の好奇の目をはねかえすように杉田氏も子どもに言う。
「カズくん、お父さんに貸しなさい。貸しなさい。ジイジに、ありがとうと言って、判った? ジイジ、ありがとう。」
最後に杉田氏が付け加える。
僕は、ジイジに頭を下げる。ジジイがジイジに頭を下げる。
杉田氏の子育て奮闘記は、はじまったばかりである。