副題:フィンランド式「対話力」入門
著者:北川 達夫 出版社:東洋経済新報社 2010年10月刊 \1,680(税込) 252P
フィンランド大使館の勤務経験を持つ著者が、国際的なコミュニケーションとは何か、価値観の違う人と話すにはどうしたらよいかを語った本である。
日本人の価値観と他の国々の人々の価値観は違う、という話はよく聞く。
「だから日本はダメなんだ、もっと海外に合わせなければいけない」という主張があるかと思えば、「だからこそ日本は素晴らしい。もっと日本人の誇りに目ざめよ」という反対の意見を耳にすることもある。
北川さんの考えは、どちらでもない。
価値観が違うのは当たりまえ。
他の国の価値観を無条件で受け入れる必要もないし、日本の価値観を押しつける必要もない。日本人どうしのコミュニケーションも同じ、というのが北川さんのメッセージだ。
ちょっと後に引いてものごとを客観視すると冷静に対応できる、ということを示す話が載っているので紹介する。
北川さんが新幹線で経験した実話だ。
北川さんが新幹線の2人席に乗っていたときのこと。
となりの席の男性がオペラの楽譜のようなものを取り出した。初めのうちは楽譜をパラパラとめくっていただけだったのだが、しばらくすると小さな声で「オペラっぽく」歌い始めた。
延々と歌が続くうちに不快になってきて、北川さんはとうとう、
「すみません。隣で歌うのをやめてもらえませんか?」
と声をかけた。
すると、男性はムッとしたような顔で答えた。
「やめろって、あなたに何の権利があってそんなことを言うんだ?」
売り言葉に買い言葉。
ふつうなら、ここで険悪な空気がただようところだ。
ところが、北川さんが次に言ったひとことがふるっている。
「いや、特に権利はないと思うので、こうしてお願いしているんです」
相手の男性は一瞬ビックリしたような顔をして黙りこみ、それから二度と歌うことはなかったそうだ。
あとで北川さんの友人にこの体験を伝えたところ、ふた通りの反応があった。
ひとつめ。
「悪いのは相手だけれど、自分だったら何も言えない/何も言わない」
ふたつめ。
「悪いのは相手なのだから、『お願いする』とは生ぬるい。徹底的に糾弾した上でやめさせるべきだ」
何も言わないのと徹底的に糾弾するのと、反応はふたつに分かれているように見えるが、実はどちらも「相手が悪い」と確信している。
ところが北川さんは「相手が悪い」とは思っていない。自分が迷惑と感じているのは事実だが、何が迷惑という判断は個人の価値観や感覚によって大きくちがってくる。
現に、やっている本人は「歌ぐらいでゴチャゴチャ言うな」と思っている可能性が高い。
「相手が悪い」ところからスタートしてもムダに衝突するだけだから、北川さんは、なるべく丁重に「お願い」してみたのだ。
北川さんが「いや、特に権利はないと思うので」と言ったのは、会話上の技術のように聞こえるかもしれないが、そうではない。価値観の違いを認識した上で、こちらから言うべきことをきちんと発信した結果なのである。
価値観が多様化している現代社会では、とにかく「相手のことはわからない」。
わからない相手と衝突せずに何かしらの交流を行うのだから、
対話とは絶望的なコミュニケーション
なのだ。
まず、このことから理解を始めてほしい、と北川さんは言う。
この発想はとても新鮮だ。
「対話とは絶望的なコミュニケーション」という認識からスタートする対話術は、いままで考えたことも聞いたこともないことがたくさん登場する。
すぐに北川流の発想ができるようになるわけではないが、「へぇ〜、こんな考え方をすると、たしかに腹も立たないし、うまく行くかもしれないなぁ」という気づきがたくさんあった。
特に印象深かったのは次の2つ。
ひとつ目は、「分かりあうまで話し合うべきだ」と考えないこと。
もちろん完璧に分かりあうに越したことはないが、対話をしたからといって完璧にわかりあえるという保証はない。
むしろ、「わかりあえない」ままでも共存できる道を探るほうが対話的な態度といえそうだ。
もうひとつは、「仮面」について。
「仮面」をかぶるというと悪いことをしているような響きがあるが、社会生活でいつも本音をさらけだしているわけにはいかない。いつも同じ「仮面」をかぶっているのなら、その「仮面」と付き合えばいい。
問題は、相手が「仮面」を変えるサインを送ってきたときの対応だ。
「ここだけの話ですが」「正直なところを申しますと」と切り出す人は、いままでの仮面を外して、素顔を見せたかのように演出している。いわば「建前を言う自分」から「秘密を打ち明ける自分」へと仮面を付け替えたということだ。
だから私を信頼してください、という相手の意図が、何か下心があってのことなのか。それとも、本当に一段深い関係に入ろうとしているのか。
見極めを誤ると、相手の意図に従えられてしまうのである。
本書を読んだあと、あるニュースを見ていて、この「仮面」の話を思い出した。
あるニュースとは市川海老蔵の記者会見のことだ。テレビで何度も何度も取りあげていたので、見た人も多いと思う。
いろいろな見方があると思うが、海老蔵は「反省する自分」を完璧に演じていたように思う。さすが役者だけあって、自分がいまどんな役割を演じるべきか、よく分かっているのだろう。
北川式に考えると、本当に心から反省しているのか、なんて追究しても意味がない。
あとになって「あの時は口さきだけの反省でした」なんて言いだしたらがっかりだが、これからも「反省する自分」を表現しつづけるなら、本当に反省していることと同じことになる。
特に芸能人はテレビのむこうで夢と虚像を売るのが商売なのだから、あれだけ立派に「反省する自分」を示した海老蔵は、本当に反省しているのだ。きっと。