七帝柔道記


著者:増田 俊也  出版社:角川書店  2013年2月刊  \1,944(税込)  580P


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著者の増田俊也氏は「このミステリーがすごい!」大賞の優秀賞受賞者で、『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』で世間の注目を集めた小説家、らしい。


あまりスポーツ系の本を読まない僕には縁のなかった作家だ。
なのに、この本を読むことになったのは、先輩から「おもしろいぞ〜」と勧められたからだ。


勧めてくれた先輩と僕は、大学2年生の時に出会った。


先輩は、格闘技が大好きで、プロレスの技の名前が会話の中にポンポン飛び出してくるような人だった。


卒業後に入社した会社にもその先輩は一足先に入社していて、同じソフトウェアプロジェクトに参加していたこともある。


3ヶ月前から、また同じオフィスで仕事するようになったその先輩から、「おい、浅沼。この本面白いぞー」と勧められたのが本書である。


もう40年以上の付き合いなのに、本を勧められたのは初めてだ。格闘技系の本は読んだことがないが、まずは読んでみることにした。


主人公は1986年(昭和61年)に北海道大学に入った増田俊也という大学生。
愛知県立旭丘高等学校の柔道部員だった彼は、大学でも柔道部に入るつもりで札幌にやってきた。


2浪している彼を、ひとあし先に1浪で入学していた鷹山が出迎えてくれる。


鷹山は、「北海道の人は本州のことを内地って言うんだぞ」とか、「北大は二回生とか三回生とか言わずに二年目とか三年目って言うんだ。三年在籍して二年生だと三年目二年って言うんだぞ」などと、名古屋人の知らない話を教えてくれた。


高校の柔道部で同期だった鷹山は、北大でも柔道部に入部したが、1年経たずにやめてしまったという。


「ほんとにきついんだ。寝技ばっかりやってんだから……」


高校の柔道部では想像もできなかった辛さだったという。

「寝技はほんとにきつい。練習時間が長いし、寝技乱取りばっかりで体力がついていかない。合宿になるとその何百倍も何千倍も何万倍もきつい。それが年に何度も何度もあるんだぞ。合宿以外にも二部練とか延長練習とかいつもいつもそんなんばっかりだ。柔道以外、勉強も合コンも旅行もなんにもできん。なんのために苦労して北大入ったかわからんくなっちゃって……他の体育会の部とも違う異様な雰囲気なんだ……」


北大の柔道部は「講道館」ルールとは違う「七帝柔道」という寝技中心の柔道をやっているのだ。


「七帝柔道」は戦前「高専柔道」と呼ばれ、井上靖の自伝小説『北の海』にも登場している。


「練習量がすべてを決定する柔道というのを、僕たちは造ろうとしている」


金沢の第四高等学校の柔道部員の熱意にうたれ、夏合宿に参加した主人公の耕作(井上靖)は高専柔道の魅力に引き込まれていく、という小説だ。


あまりにも過酷な練習の様子を聞かされ、柔道部に入る決心がなかなかつかない増田だったが、練習を見に行って先輩につかまり、「もう逃げられない」と観念した。


同期の鷹山が言っていたことは本当だった。


一年目は全部の乱取りに参加しなくてもよかったし、はじめは先輩たちも遠慮してくれていたが、ともかく練習時間が長い。


やがて、練習中に“落とされる”ようになった。


“落とす”というのは柔道の絞め技で意識を失わせることだ。腕や胴着、脚などを使って相手の頸動脈を圧迫して脳へ行く血流を止めると、脳内に血液がいかなくなって、相手は意識を失うのだ。


高校の柔道部で落としたことも落とされたこともなかった増田だが、北大柔道部では「参ったなし」が暗黙の了解で、「参った」と合図をしても離してくれない。

落ちることがこれほど苦しいとは思わなかった。地獄のような苦しみだった。いや、死んだほうがましだと思った。離してくれないのがわかっていても必死に片手で岡田さんの体を叩き続けて参ったし、口から泡を吹き、涎(よだれ)をたらしながら悶絶するうち闇のなかへ吸い込まれて意識を失った。


1年目と2年目以上はこんなに実力差があるのに、それでも北大の柔道部は七帝戦(北海道大学東北大学東京大学名古屋大学京都大学大阪大学九州大学の旧七帝大で実施する大会)で2年連続最下位になっている。


1年目も苦しい。が、それ以上に2年目も3年目も4年目も苦しい練習の様子が、このあと延々と綴られていく。


女子大生との恋愛も、もちろん濡れ場も全く登場せず、増田が2年目になってやっと女子マネージャーが入部するだけ。


ひたすら苦しい練習と、強くなれない悔しさと、試合で勝てない不甲斐なさが続く小説なのに、なぜか最後まで目が離せない。


何かに真摯に向きあうというのは、こういうことなのか。
命がけで何かに挑むというのは、こういうことなのか。


自分が体を動かしてもいないのに、本を閉じると疲労感と開放感がやってくる。


格闘技好きの人だけでなく、人生に不完全燃焼を感じている人にもお勧めしたい。


増田俊也氏は1986年(昭和61年)に北海道大学に入っているので、1976年に北大に入学した僕から見ると10年後輩(年齢は8つ下)という計算になる。


旭川市旭山動物園を日本一の動物園にした小菅正夫氏(旭山動物園の前園長)は1969年(昭和44年)に入学と同時に北大柔道部に入部し、やはり柔道に明け暮れたという。
増田氏と小菅氏の真ん中にあたる僕の同期にも、きっと柔道部に学生生活を捧げた人がいたはずだ。

広い北大キャンパスの一画で、こんなに命がけで柔道に向き合っている学生たちがいた、ということをまったく知らなかった。


増田氏から見れば、僕も「チャラチャラした」学生の一人だったかもしれない。
別世界に住んでいたような僕だが、ひとつだけ共感した箇所があった。


それは、僕も増田氏のように食欲旺盛だったことだ。


寮の1日の食費が420円(朝食70円、昼食150円、夕食200円)だった僕は、いつもお腹をすかせていた。
安くて量が多い店があると聞くと、よく食べに行っていた。


『七帝柔道記』にも、当時通った懐かしいお店が登場している。


主人公の増田が札幌に到着した翌日、高校柔道部で同期だった鷹山と北24条の中華料理屋「宝来」へ晩飯を食いに行った。


「宝来」の盛りの大きさを、増田氏は次のように書いている。

鷹山は僕に見せたいと行ってチャン大と呼ばれるチャーハンの大盛りと餃子を頼んだ。(中略)運ばれてきたチャン大は丼三杯分はあった。


「鮨の正本(まさもと)」のおにぎりのように大きいお寿司も懐かしい。


本書には登場しないが、北17条「キャッスル」のカツカレーもよく食べにいったなぁ。


店のマスターが無愛想で、席についてすぐに注文しようとすると、「水持って行ってから!」と叱られるお店だが、皿からこぼれそうな盛りの良さは最高だった。


もっと満腹できたのは、札幌駅の地下街にあった「コロンボ」というカレー屋さんの「ジャンボ」というメニュー。


ごはんとルーが何杯でもおかわり自由なので、店を出るときには動けなくなるほど食べてしまいる。


10年くらい前に札幌へ行ったときに探してみたが、札幌駅が北に移動して駅舎も駅地下も大きく変わってしまい、見つけられなかった。


また行く機会があったら、ぜひ訪ねてみようと思う。