大・大往生


著者:鎌田 實  出版社:小学館  2013年7月刊  \1,260(税込)  253P


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2010年1月から、鎌田氏は『週間ポスト』で「ジタバタしない」という連載をはじめた。


連載の中から、病について、老いについて、死について書いた原稿を集めて、大幅に加筆修正したのがこの本だ。


本の題名を決めるとき、永六輔氏のベストセラー『大往生』を使わせてもらいたい、と永六輔氏本人にお願いした。
もうひとつ「帯に言葉をいただけないでしょうか」とたたみかけたところ、困ったヤツだというような顔をして笑ってくれたそうだ。


帯には、「永六輔氏推薦!」の大きな文字の横に、次のような永氏の紹介文が書かれている。

僕、昔、『大往生』という本を書きました。
『大・大往生』は〈犬が死んだ〉のではありません。
『大往生』が〈大昔〉になったのです。


まったく、真面目なんだか、ふまじめなんだか……。


その永六輔氏と福島県にボランティアに行ってきたエピソードが第2章に載っている。


福島へいっしょに行く約束をした直後、永氏はころんで大腿骨を骨折してしまった。
福島行きはむりかもしれない、と鎌田氏はなかばあきらめていたが、永氏は「約束は守りたい」と行く気マンマン。
結局、医師がエスコートすることになり、家族が運転する車で永氏は福島に向かった。


自分の病気を隠さない永氏は、『負けない福島!』という講演タイトルそのままに、「僕は負けない」と言って会場をわかせる。
車椅子で登場し、パーキンソン病にも負けないし、骨折にも負けない、と語ったあと、不思議な短いタオルを取りだした。


タオルには「まけない」と刺繍してある。
永氏は、言った。


「首にも巻けない、手にも巻けない、短すぎてどこにも巻けないんです」


会場は大爆笑につつまれた。つらくて何度も泣き続けてきた人たちが、腹を抱えて笑ったのだ。



永六輔のエピソードだけではない。
この本には、病に負けない人、老いに負けない人、ジタバタせずに死を迎えていった人々がたくさん登場する。


鎌田氏が院長を務めていた諏訪中央病院には緩和ケア病棟があり、末期のがん患者が入院してくる。


末期のがん患者は、「もう何もすることがありません」とか、「ほかの人が入院を待っているので出てほしい」などと言われて、つらい思いをすることが多いそうだ。


緩和ケア病棟は病気の症状をやわらげるための処置をするところだが、諏訪中央病院の緩和ケア病棟には、通常の処置だけでなく、不安を感じている患者さんに何かしてあげることを大切にする文化があるそうだ。


膵臓がんで肺にも転移のある65歳の男性患者が、あるとき、
  「九州にはあまり行ってないなあ。一度でいいから湯布院に行ってみたかったよ」
とつぶやいた。


死を意識しながらも、希望を捨てないことが大事。
担当医師は、「僕は九州の出身で、湯布院には旅館をやっている知人もいます」と、湯布院に行くことを提案した。もちろん、医師同行で。


点滴や酸素ボンベも持っていく計画を知り、男性患者は感心する。


万が一、旅行中に自分が死んだら、病院は非難されるかもしれない。担当医師だって院長だって困るはずなのに、どこからもブレーキがかからない。この病院はすごいなあ、と。


残念ながら、病状が悪化し、男が旅の中止を申し出たとき、担当医師と鎌田氏が言った。


「中止はしない。延期、延期。少し良くなったら、夢を実現しよう」


男は笑って、納得のコックリをしたそうだ。


とうとう最期のときを迎えたのは、湯布院に旅立つ予定日だった。奥さんが「湯布院に着ていくつもりだった服を着せてあげたい」と言い、和服を着せてあげた。


本人も、家族も納得する旅立ちだったのだろう。



緩和ケア病棟のほかに、鎌田氏は「鎌田實とハワイに行こう」という企画をたて、8年前から障害者やボランティアたちと旅をしている。


「生きることは楽しむこと、楽しめないなら死んだ方がマシ」。「死んじゃったら死んじゃったで仕様がない」と公言して参加する人もいるが、本当に旅先で亡くなった人はいない、とのこと。


このほか、「死に立ち向かう方法はひとつではない」、「死を受入れる前に大切なことがある」など、常識をふきとばしてしまうような病気との向き合い方、死の迎え方がいくつも登場する。


「命を賭けたくなるときがあってもいい」とまで言いきられると、「言いすぎでしょ!」とツッコミたくなるが、覚悟が決まっている鎌田センセは、誰も止められないのだ。


この本を書くにあたり、鎌田氏は、

「人間はいつか死ぬ運命にあるのだから、少しでも幸福な最期を迎えてほしい、という願いを込めた」

という。


メメント・モリ(死を想え)というラテン語の警句がある。
死を思うことは、生を充実させること。


笑ったり、ホロリしたりしながら鎌田流大往生を読めば、きっと生きる勇気が湧いてくる。


私事になるが、4年前の秋、義父(カミさんのお父さん)を見送った。


義母(カミさんのお母さん)に先立たれてから、義父はみるみる元気をなくしていったのだが、軽い脳梗塞を発症したあと、肺癌が見つかってしまった。


鎌田先生は、「もう何もすることがありません」という言葉が日本中の病院で氾濫していることを嘆いているが、義父も同じ経験をした。
本人が手術を希望したところ、「体力が保ちませんので手術できません」と担当医師に告げられた。


「そうですか……」という義父に、どんな言葉をかければいいのか。
いっしょに説明を聞いていた僕は、何も言えなかった。


肺に溜まった水を抜くため、3週間に1度、大学病院に通院する。それ以外、何も治療してもらえない闘病生活が続いた。


呼吸が苦しくて苦しくてしかたがなくなったとき、「ホスピスに入りたい」と、義父は自分で言いだした。


立派な個室ホスピスのある病院の診察を受けたが、満室で順番待ち、とのこと。
空きが出るまで、一般病棟で待つことになり、義父は4人部屋に入院。


ゆったりした個室で最期を迎えることを待ち望んでいた義父だったが、ホスピスの空きが出る前に、亡くなってしまった。


温泉に行ってみたい、とか、ハワイに行ってみたい、などという大きな夢はなかったが、せめてゆったりした個室で、見舞ってくれる兄弟たちと最後のお別れをさせてあげたかった……。

家族として、できるだけのことはしてあげたつもりだったが、小さな悔いが残った。


家族も本人も満足して死を迎えることは、難しいことだと思う。


そのむずかしいことが、『大・大往生』にはたくさん、たくさん登場する。
肉親の死を経験した人ほど、笑って、泣いて、また笑ってしまうことだろう。


いや〜、いい本を紹介したな〜、と自画自賛(笑)。