キャパの十字架(その6)

(承前)


キャパと僕の“付きあい”、沢木耕太郎と僕の“付きあい”について、前置きが長くなってしまったが、もうひとつ、キャパと沢木耕太郎の“付きあい”についても述べておこう。


沢木がキャパに興味を覚えるようになったのは、沢木が学生時代に『ちょっとピンぼけ』を読んだことがきっかけのようだ。
キャパの本を読んで興味を覚えるところまでは僕と同じだが、一読者としてキャパに注目していた僕とちがい、沢木耕太郎は大学卒業後にフリーランスのライターになった。キャパと同じく事実を伝える側の人間になったことで、沢木はキャパに共感を覚えるようになる。


キャパのエビソードとして知られている、第二次世界大戦中のできごとがある。
敵機の攻撃で着陸装置をふきとばされた爆撃機が、ロンドン近郊の空軍基地にもどってきて胴体着陸を行った。機内から運び出される負傷者を夢中で撮影したキャパが、最後に降りてきたパイロットのクローズアップを撮ろうと駆けよったとき、パイロットが言った。
「これがあんたの待望の写真ていうわけかい、写真屋さんよ」


キャパは撮影をやめて無言で立ち去り、のちに次のように語ったという。

「いつだって、人の痛苦しか記録できないのは辛いことだった」


キャパの「辛さ」は、沢木に無縁のものではなかった。取材を重ね、多くのルポを書けばかくほど、彼はキャパの中に「視るだけの者」としての哀しみを見出し、「同類」として共感を覚えるようになったのだ。


(その7へ続く)