キャパの十字架(その5)

(承前)


学生時代の読書が小説中心だった反動なのか、社会人になってからはノンフィクションに手をのばすことが多くなった。


柳田邦男や立花隆などの売れっ子だけでなく、知る人ぞ知る鎌田慧竹中労の作品も読んでみた。知られていない事実を掘りおこしまとまった作品に仕上げる、という手法は同じでも、作家の個性によって読後感が違うのがおもしろかった。


沢木耕太郎を読んで感じたのは、作品中に「自分」を登場させる傾向のある作家だということだ。取材やインタビューの内容を書いたあと、自分がどう思ったのかを付けくわえるのは当然として、なかには『一瞬の夏』のように、取材対象に深く踏みこむこともあった。
『一瞬の夏』は、ボクシング元東洋ミドル級王者のカシアス内藤の一夏の経験をまとめた作品だ。
強打をうたわれたカシアス内藤が無残に敗れてから4年。再起をかけた試合に、トレーナーやカメラマンがチャンピオンに夢を託すなか、黒子であるはずの沢木はプロモーターとしてかかわる。


ルポライターとして客観的立場で元チャンピオンの現状をレポートするだけでなく、興行を主催する側にまわって、カシアス内藤に再起の機会を与えたのだ。
ルポライターの役割は目の前のできごとを文章で伝えることなのだが、ただ見ているだけではがまんできない。沢木耕太郎は、そういう作家らしかった。


(その6へ続く)